・「日本人が日本人であることを追究するための手だてになる」じゃだめなのか。国際化時代に求められてるのはその辺なんじゃないの?
・もう少しいうと、知識を特権化しないために教育する、といべきか。
・たとえば、「余は『古事記』を読みてかく悟りたり~」と標榜する人間に対して、古典の知識がなければ、その言説の是非を確認することができない。もちろん、無視できるならそれに越したことはないが、そうではないとき、「信じる」という道をとることもありうる。これでは「知る」(と称する)人間が優位に立ってしまう。それは危険だ。悪しき宗教の採る論理・手法と一緒である。
・こちらも被害にあわないよう、対等の立場に立っておく必要がある。不審な言説を見抜くだけの力を持つ必要がある。その意味で、古典を学ぶ必要は説けるだろうし、そうした仕組みを「教育」というシステムで提供されているこが重要なのだ。
・もちろん、個人としてはさまざまなレベル・内容で問題が起こることは考えられる(「難しい」とか「理解できない」とか)。また、教育を受ける/受けないの選択権を保証する必要もあるだろう。大事なのは、教育がシステムとして用意されており、望むものには開かれていることだ。
・もう少しいうと、知識を特権化しないために教育する、といべきか。
・たとえば、「余は『古事記』を読みてかく悟りたり~」と標榜する人間に対して、古典の知識がなければ、その言説の是非を確認することができない。もちろん、無視できるならそれに越したことはないが、そうではないとき、「信じる」という道をとることもありうる。これでは「知る」(と称する)人間が優位に立ってしまう。それは危険だ。悪しき宗教の採る論理・手法と一緒である。
・こちらも被害にあわないよう、対等の立場に立っておく必要がある。不審な言説を見抜くだけの力を持つ必要がある。その意味で、古典を学ぶ必要は説けるだろうし、そうした仕組みを「教育」というシステムで提供されているこが重要なのだ。
・もちろん、個人としてはさまざまなレベル・内容で問題が起こることは考えられる(「難しい」とか「理解できない」とか)。また、教育を受ける/受けないの選択権を保証する必要もあるだろう。大事なのは、教育がシステムとして用意されており、望むものには開かれていることだ。