四
其の翌る日も、十吉は大鋸と斧とを持つて、朝から光格寺の石段を登つて来た。もう一日仕 といたら来年の正月いツぱいの焚きもんはあるやらう、といふのである。二丁四面の境内を有 つたこの荒れ寺には、松を主とした雑木林や竹藪が、人間ならば肱 を張つたやうに、経蔵の後から本堂まで蔓つて来て、十吉が二日三日斧を入れると、薪がドツサリ積み上げられるのである。
『十 ツさん、わし もちいとあのけい やら知れん。』と、桃丸は少しばかり蒼い顔をして、お臀の方を気にするらしい様子で、木を割つてゐる十吉の傍へ来て、昨日 節用集がやつてゐたやうにして、丸太の上ヘ腰を卸 ろした。
『坊 んち、うだ\/言ひなはるな。今あんた があのけい でたまりますかいな。』と、十吉は斧の手を止めて、其の柄と杖 つく風にしながら突ツ立つたまゝで、ヂツと桃丸の顔を見た。
『いゝや、何うしてもあのけい らしい、今朝 からもう十何遍雪隠 へ行くがな。‥‥腰がだるうて、絞り腹で、水が飲みたい。』と、桃丸は肩で息をしてゐる。
『ほんまだツか坊 んち、‥‥そいでまだおで さんに言ひなはれへんのか。』と、十吉は周章 てた状 で言つた。
『おで さんは墓の中に居 やはるがな。』と、桃丸は幽霊のやうな声をした。
『こら仕舞ふた。縁起 がわるい、‥‥山ヘ行 け、山へ行 け、貘 喰 へ、貘 喰 へ、‥‥』と、十吉は眼を瞑 つて禁厭のやうなことをしてから、『あのう坊 んち、阿母 さんに言ひなはれへんのか。』と、十吉の声はせわしなかつた。
『あの人にはまだ言 えへん。‥‥』と、桃丸は父の生きてゐるうちでも、継母に対して、阿母 さんといふ声は何 うしても出なかつたので、父亡 き後 はもうおほびらに、『あの人 』で通してゐる。
『早 やう医者どん呼んで、薬 服 まなどんならんがな。』と、十吉は斧を棄て、桃丸を引き立てつゝ、庫裡へ入 つて行つて、いまだに何 うかすると昼も蚊の居る暗い土間に立つて、
『奥さん、どえらいこつちや、坊 んちがあの悪い病のけい だすてな。』と、本堂へまでも響くほどの声をした。
『まアー、‥‥』と、奥から出て来たお加代は驚いた顔をしたが、それでも藪から棒にそんなこと信じられぬといふ色が、あリ\/と窺はれた。
『そんな悪い病やなうて、腹 仕舞 ふてはるだけやら知れんさかい、まア赤松でも呼んで診せてみなはれあの藪医者かて、病の筋ぐらゐ分るやろ。』と、十吉は大事の品物を抱へたやうに、そつくりと桃丸を上り口ヘ押しあげた。
『坊 ん、それ見なはれ、柿喰 べたら可かん言ふてるのに、まだ青いのを七つも八つも皮なりで喰 べてやよつて、工合がわるなるのや。お父 つあんが生きてゝみいで、十一月にならんと柿喰 べさしはらん。』と、お加代はキイ\/声で言つて、しよんぼりと、湯をかけられた青菜のやうに力のなくなつてゐる桃丸を睨んだ。紅香 がよち\/と、赤い鼻緒の下駄で表から入つて来て、指を銜へながら桃丸の直ぐ側ヘクツ付くやうにして坐つたので、お加代は盆たキイ\/声で、
『紅 さん、伝染 るがな、兄 さんのねき へ寄つたら、‥‥』と、劇しく言つて、紅香の細い手を引張つた。
『奥さん、そんなこと言ふていで、早やう坊 んちに寝床敷いたげなはれ。』と、十吉はお加代を促し立てつゝ、桃丸の様子を気がゝりな風でヂツと見詰めてゐた。
『水が飲みたい。‥‥飲んでもえゝやろか。』と、桃丸は力のない声で、誰れに言ふともなく言つて、何んだか急に病人らしくしなければならぬやうな気持ちになつてゐた。『あの人』なんぞは、何んぼキイキイ声をしたかて、一寸 も怖うないが、若し今自分が赤痢なんぞになつたら、この大きな家は何うなるであらう。この秋の収獲 が済まなければ、灯明田 の年貢も入 つては来ぬ。それまでは売り残りの道具でも売つて、米買ひを続けて行かねばならぬ。父の法衣と袈裟とまで質に入れた金が、『あの人』の手にはもう何んぼも残つてはゐないであらう。――なぞと、そんなことをいろ\/考へてゐると、腹の痛みがだん\/強くなつて、腰が拡がるやうに思はれ、急ぎ足でまた雪隠へ行つた。
『一週忌の済まんうちに石塔建てるもんやない、屹と災難が湧いて来よる。』と、節用集が頻りに言つてゐたけれど、僅かばかりの檀中から集めて呉れた石塔の料を、米代なんぞにして了 うては申し訳がないと、『あの人』が石工 を急 き立てゝ、百ケ日の済んだばかりに建てたあの新らしい粽形の石塔が祟 つて、自分はこんな悪い病になつたのではなからうか。――と、桃丸は不浄の中に蹲踞 みつゝ、先づこんなことを考へた。少し込み入つた考へごとをすると、頭がフラ\/して気が遠くなりさうである。窃 と手をやつて額を押へてみると、内部 では火が燃 えてゐるのかと思はれるほど、熱い、熱い。
不図思ひ浮べたのは、『あの人』がお腹 に子 を持つてゐるといふ村人たちの噂さである。先住が亡 なつてから丁度五ケ月、さうして、『あの人 』のお腹も四月 か五月 らしいとの蔭口が、風に伝はつて聞えて来る。
『月が重なれや、お腹 が太 る、どしよぞいな。‥‥さアさ棄 てとけ、放 つとけ。‥‥』と、大きな声で寺の門前を唄 つて過ぎる若い衆のあるのを、『あの人』は何んと聞いてゐるのであらうか。お腹の中に居 るのが、自分の弟か妹かであるならば、それも仕方がないが、若しやあられもないものゝ胤 であつたなら、自分としては何 うしてよいのであらうか。今までは一向に考へたこともない心配が、何ういふものか犇々と身に迫つて来る。これも悪い病に取り付かれた為めであつたらうか。──
桃丸はこんなことを取り止めなく考へて、雪隠から出て来ると、先住が居間にしてゐた茶室がゝりの四畳半へ、自分の寝床か面倒臭 さうに舒 べられてあるのを見た。けれども桃丸は、其処へ横にならうともせずに、また頻りに催して来る便意を忍びつゝ、ぽつねんと看病をしてゐる人のやうな位地に座つて、古ぼけた木綿縞の蒲団のごつ\/したのを見詰めてゐた。
裏手の方からは、十吉の木を割る音が頻りに響いて、桃丸は何んとなしに涙を誘はれた。
*――つづく――
其の翌る日も、十吉は大鋸と斧とを持つて、朝から光格寺の石段を登つて来た。もう一日
『
『
『いゝや、何うしてもあの
『ほんまだツか
『
『こら仕舞ふた。
『あの人にはまだ
『
『奥さん、どえらいこつちや、
『まアー、‥‥』と、奥から出て来たお加代は驚いた顔をしたが、それでも藪から棒にそんなこと信じられぬといふ色が、あリ\/と窺はれた。
『そんな悪い病やなうて、
『
『
『奥さん、そんなこと言ふていで、早やう
『水が飲みたい。‥‥飲んでもえゝやろか。』と、桃丸は力のない声で、誰れに言ふともなく言つて、何んだか急に病人らしくしなければならぬやうな気持ちになつてゐた。『あの人』なんぞは、何んぼキイキイ声をしたかて、
『一週忌の済まんうちに石塔建てるもんやない、屹と災難が湧いて来よる。』と、節用集が頻りに言つてゐたけれど、僅かばかりの檀中から集めて呉れた石塔の料を、米代なんぞにして
不図思ひ浮べたのは、『あの人』がお
『月が重なれや、お
桃丸はこんなことを取り止めなく考へて、雪隠から出て来ると、先住が居間にしてゐた茶室がゝりの四畳半へ、自分の寝床か
裏手の方からは、十吉の木を割る音が頻りに響いて、桃丸は何んとなしに涙を誘はれた。
*――つづく――