二
 本堂の棟に大きな鬼瓦二つを載せてゐる寺は、紫合山しがふざん光格寺といふ門徒寺である。先住せんぢゆうはもう粽形の石塔の主になつて、新発智の桃丸はまだ十九の童名のまゝで、住職になつてゐない。庫裡には先住の後妻で桃さんの継母お加代と、其の生んだ紅香べにかといふ四歳よつつの娘と三人で、雨が降るとところ\゛/にぽたり\/と漏る大きな屋根の下に暮らしてゐる。
 柿の実が熟しかけて、青いながらに皮の下には黒いあんをもつ頃になると、蜩の声が、
『ツクツクオイシ‥‥ツクツクオイシ‥‥』と、木立の中で、竹片たけきれなぞを持つた腕白どもの頭の上に響く。
『やアーい、もう柿がへるぞい。』と叫ぶものゝ手には、青いのや、蔕に虫が付いてひさいながらに黄ばんでゐるのやらが、二つ三つ握られてゐる。猿のやうに白い歯を剥き出して、皮ごと齧り\/行く尻切れの藁草履のわるさ丶丶丶のあとから、痩犬が長い尾を振り\/いて行くのも、村には見慣れた石版画のやうな光景ではあるが、この秋はうしたことか、其の頃から悪い病が流行はやり出して、村役場の土間には石炭酸の瓶が堆く、紺飛白に小倉の袴の衛生係と、白い服の巡査とが、毎日\/西に東に、村中をうろ\/してゐた。
『柿喰うな、赤痢になるぞい。』と、光格寺の院主ゐんじゆ本供ほんどもの行列を立てる時六尺を勤める大男は、胴間声で言つて、おのれは手近かの枝にある大きなのを一つむしつて、長い前歯でかくりとやつた。
『新ぼんち丶丶丶に早やう得度して貰はんと、どんならん。』と、大男は口癖に言つてゐることをまた言つて、二つ目の柿をまたむしつた。
じゆツさん、わし丶丶にも一つ取つてんか。』と、新発智の桃丸は、桑畑を潜り\/駈けて来たが、大男の十吉はせゝら笑つて、
滅相めつさうな、ぼんちがこんなもん喰うと、きにレコや。』と、破れた腿引の臀のあたりを叩いて見せた。
 村中をうろ\/する巡査の白い服が、黒いのに改まつても、悪い病はなか\/らないのである。
 光格寺の庭には柿の木が多い。あたりまへの甘柿が四本と、御所柿が一本と、こねり丶丶丶が一本と、渋い美濃柿が一本とあつた。久しい出入りの十助が、広い空地を掘り返しては畑にしてみても、のちの手入れが続かぬので、豆でも芋でも大根でも、満足に出来たことはないが、植ゑた先祖の余徳で、柿だけはつたらかしといても、年々に実を結んだ。
 何んでも石山合戦の飛火で、織田信長に焼かれるまでは、この光格寺がそれは\/立派な寺であつたさうで、半分焦げ残つた古い御家流おいへりうの帳簿に、『紫合御坊』といふ文字の読まるゝのでも、大抵の様子はわかりさうである。
 『門徒寺もんとでらが、真言や天台みたいに、山の上に居ては、寺の繁昌のする道理がないわい。京の本山かて低い町の中にやはるやないか。』と、村の節用集と仇名されてゐる四十男はよく言つてゐる。
 昔は貴い什物もあつたらしく、書画の軸物の箱ばかりが、三つ四つ残つてゐる中に、東坡筆竹之図といふのもある。
『こんなもんが、ほんまにあつたんやろか。』と、節用集はそれを見るたびに首を捻つてゐる。
『この箱に入はいつてたもんが、皆んな今あつたら、それこそえらいもんや。一身上ひとしんしよ二身上ふたしんしよもあるがな。』と、節用集はまた首をかしげる。
『そんなもんは無うてもよい、わしやまた裏の北山だけでもあつたらなアと、しうてならんのや。』と、十助は維新の時先住が下手へたを打つて上地してしまつたといふ六十町歩のこんもりした松山を眺めては、幾十年このかた惜しがり続けてゐる。
『日が長うても短うても、一日いちにち仕事ちうもんは、大概きまツたゞけほかけんもんぢや。』と、十助は割り木を積み上げ、斧を片付けて、暮るゝに早い秋のゆふべの、茜色の雲を西の空に眺めてゐた。
『これだけあつたら、この寺の半季の焚きもんは不自由なからう。』と、節用集は十助が納屋の軒に積み上げた薪の割木を見上げて、唸るやうに言つた。
『何がのう、半季あるもんかい。せえさい丶丶丶丶つきやなア。』と、十吉は腰をゆすつて背伸びをした。
『松やさかいなア、くにぎ丶丶くぬぎ)やつたら、こいで一年あるで、‥‥』と、節用集はまた仔細らしく首を傾けた。
くにぎ丶丶丶がこいだけあつたら値打ちもんや。‥‥売つて米買うた方がえゝ。』と、十吉は割木の台にしてゐた太い松丸太の上に、ゆツたりと腰を卸ろし、割つた木の端に引ツかけてあつたよれ\/の淀屋橋よどやばしを取つて、かち\/と燧石ひうちいしで火を拵へ、黄色い煙草の上へ黒い引火奴ほくちを載せたまゝ、スパ\/と吸つた。
じゆツさん、御膳ごぜんべなはれ。』と、四歳よつつ紅香べにかが赤い鼻緒の下駄で、よち\/とやつて来てさう言ふとまたよち\/と庫裡の方へ戻つて行つた。
『古川に水絶えず、とでも言ふんかなア、わしんとこ等のが祭に穿く下駄をいとは常に穿いてるがな。』と節用集も手織木綿の微塵縞の懐中から畳み煙草入れを出して、鉈豆の巡査煙管ぎせるで、十吉が十能のやうなてのひらに転(ころ)がしてゐる吹殻の火の玉に吸ひ付けた。
『あんなことしてるさかい、此処こゝうち身上しんしよが持てん。』と、十吉は三服目の煙草(たばこ)を吸ひ付けて、太い柱の曲つた庫裡の大きな裏口の高い敷居を、やツこらさと跨いでゐる紅香のちひさい背中を見詰めつゝ言つた。
『そやけどじゆツさん、お前はようこないに仕たげるなア、椀給でなア。‥‥大忠臣や、御家おいへ再興の暁にや御家老に取り立られるで。‥‥』と、節用集は莞爾につこり笑つて、縮れツ毛の頭を撫でた。
アやちんも一所に御膳おあがり。』と赤い鼻緒の紅香べにかはまたよち\/やつて来て言ふと、機械のやうにクルリと向ふをむいて引き返へした。
『へえゝ、‥‥』と、節用集は驚いた顔をしたが、十吉は何事をか少し考へた末に、唾液つばを呑み込んで、
小作こさくつくつて地のしぢ丶丶さんへ奉公してるより、椀給でもよいさかい、此処の焚きもんでも拵へたげてる方が気が利いてる。』と、稍大きな声をして、煙管を持つたまゝの手で、ちんと手洟てばなをかんだ。
『そらさうや、世の中に小作ほど阿呆あほな仕事はまアないなア。詩作るより田作れちうが。何んの、田作るより詩作る方がえゝわい。‥‥昔は何うやつたやら知らんが、今時いまどきの小作は、政府おかみと地主と銀行から甘味うまみを吸はれて、糟だけ舐めてるんや。‥‥言はゞまア、税と地代ねんぐと利息の三ところめや。町へいて電信柱建てる。穴掘つてたかつて四十銭や五十銭の日傭ひようは取れるもん、小前こまへのもん\/と見下されて、気の利いた犬や猫ならいでも見んようなもんうて、へいこらさ、へいこらさしてることあれへん。と節用集も節の多い丸太に腰を卸して、ぺら\/と話し込んだ。
三はんは、せツちようし(節用集)と言はれてるさかい、物識に違ひないが、まだあかんわい。税納めたり、銀行へ利息取られたりする貧乏なら旦那貧乏や。此方こち等の貧乏は其処そこどこやない。』と、十吉はまたチンと手ばなをかんだ。
『小作つくれや、地代ねんぐちうもん取られるやろ、そんなかにや政府おかみへ納める税も籠たるね。肥料こえ買はんならんいふて、地のし丶丶から金借るやろ、其の金銀行から出たるねやが、利息は地のし丶丶が頭張つて、銀行へ持つて行くねやがな。‥‥百姓は詰まらんいふたかて、地のし丶丶はお大名や、どんづまりの糟は小作が拾ふてるんや。』と、節用集の和三郎は頻りに鼻の穴を穿ほじり出した。
『物識り貧乏ちうて、和三わさはんもそいだけ物識つてゝ、もツとえらうなりさうなもんやなア。』と、十吉はまた\/ちんと手洟てばなをかんだ。
『汚ないことするなア、じゆツさん。』と、節用集は腰をよぢらして、眉を顰めたが、十吉はにや\/笑つて、
『汚ないことあるもんか、おはんみたいに、布片きれや紙へはなかみ込んで、大事さうに袂やほところ丶丶丶丶へ[一字衍カ]れとくのは、此方等こちらから見ると、何んぼ汚ないや知れへん。』と、更に四度目の手洟をかまうとしたがこれは思ひ直してめた。
『どれ、なうか。』と、節用集は軽く欠伸を一つして、夕暗の迫つて来なかに、スツクと立つた。
『折角あゝ言やはるんや、お辞儀なしにツつおになつたらうだす。』と、十吉も立ち上つて、腰を捻つたり撫でたりしてから、大鋸と斧とを持つて、庫裡の方へ歩いた。

――つづく――