・二つの名をあやつる杏ですが(笑。いえ一方では苦しんでいます)、それゆえに「二重であること」も、作品のあちこちに仕組まれているようです。
・ある日の本多くんとのデート。彼は、牛乳屋さんに身代わりを頼みました。映画館のなかで、杏ははじめてそのことに気付きます。これもまた、すごいというか、エグイと片仮名で書きたくなる設定ですよね。こういうダブり方、普通するものかどうか。でも、読者には杏の心移りが分かっているから、すっと入って行ける。応援までしてしまえるでしょう。
・このデート、牛乳屋さんは身代わりですが、牛乳屋さんの前では「苗子」なので、杏にとっては「杏」の身代わりです。ややこしや。そのややこしさを、さらりと読者に飲み込ませて、自然にストーリーを運んでいってしまうのも、うまいところ。
・そんな杏は、どこに行きたい?との問いに、上野動物園を希望します。当時大人気だったパンダなので、いかにも自然な希望に見えます。が、中国から贈られた二頭のパンダの名前は、日本人にはオノマトペのように聞こえる音節の繰り返しです。そして作者は杏にこう言わせます。「ランランかしら、カンカンかしら 牛乳屋さん どっちが女の子なんだっけ」。これもとても興味深い。パンダも、あなたに問われたくはありません、といいそうです。
・杏は、フランス窓のある家に帰りつきました。苗子とのやりとりの一こまに、鏡が描かれます(p.30)。これも興味深い。廊下を歩く苗子につづく杏。二人が一こまに描かれます。横からの描写。杏の向こうに家具。その上にピッチャー風の花器。その背景の大きめな鏡に杏の影が描かれています。
・これはまさに二重性の強調でしょう。もちろん、フランス窓のある小さな家にふさわしい調度品ではあり、女の子3人のシェアハウスには好ましい、ちょっと装飾のある鏡です。だから、存在することは自然なんだが、読者は「鏡を描いた積極的な意味」を考えてしまうところ。もちろん、見過ごしてもどうということのない風景ですが、だからこそというべきか、作者のイタズラ心を垣間見たような気がします。
・ある日の本多くんとのデート。彼は、牛乳屋さんに身代わりを頼みました。映画館のなかで、杏ははじめてそのことに気付きます。これもまた、すごいというか、エグイと片仮名で書きたくなる設定ですよね。こういうダブり方、普通するものかどうか。でも、読者には杏の心移りが分かっているから、すっと入って行ける。応援までしてしまえるでしょう。
・このデート、牛乳屋さんは身代わりですが、牛乳屋さんの前では「苗子」なので、杏にとっては「杏」の身代わりです。ややこしや。そのややこしさを、さらりと読者に飲み込ませて、自然にストーリーを運んでいってしまうのも、うまいところ。
・そんな杏は、どこに行きたい?との問いに、上野動物園を希望します。当時大人気だったパンダなので、いかにも自然な希望に見えます。が、中国から贈られた二頭のパンダの名前は、日本人にはオノマトペのように聞こえる音節の繰り返しです。そして作者は杏にこう言わせます。「ランランかしら、カンカンかしら 牛乳屋さん どっちが女の子なんだっけ」。これもとても興味深い。パンダも、あなたに問われたくはありません、といいそうです。
・杏は、フランス窓のある家に帰りつきました。苗子とのやりとりの一こまに、鏡が描かれます(p.30)。これも興味深い。廊下を歩く苗子につづく杏。二人が一こまに描かれます。横からの描写。杏の向こうに家具。その上にピッチャー風の花器。その背景の大きめな鏡に杏の影が描かれています。
・これはまさに二重性の強調でしょう。もちろん、フランス窓のある小さな家にふさわしい調度品ではあり、女の子3人のシェアハウスには好ましい、ちょっと装飾のある鏡です。だから、存在することは自然なんだが、読者は「鏡を描いた積極的な意味」を考えてしまうところ。もちろん、見過ごしてもどうということのない風景ですが、だからこそというべきか、作者のイタズラ心を垣間見たような気がします。