・先日寝そびれの道連れに北村薫『太宰治の辞書』を手にとった。一度は読んでるが、加齢力のありがたさ、枝葉末節は忘れているので、いろいろ(再?)発見がある。たとえば、主人公「私」には、芥川龍之介『舞踏会』の最終段に「ひっかかるところが二つある」という、2つの謎の解釈。
・「一つは、大正七年に《老夫人》になっている明子が何歳か」。実は、明子の年齢自体はきっかけというか材料であって、「老夫人」という単語が表す具体的な年齢がいくつか、を考えたいということらしい。発端は、次の一節から。
大正七年の秋であつた。当年の明子は鎌倉の別荘へ赴く途中、一面識のある青年の小説家と、偶然汽車の中で一しよになつた。青年はその時編棚の上に、鎌倉の知人へ贈るべき菊の花束を載せて置いた。すると当年の明子――今のH老夫人は、菊の花を見る度に思ひ出す話があると云つて、詳しく彼に鹿鳴館の舞踏会の思ひ出を話して聞かせた。 (以上、引用は青空文庫本文による)
・『舞踏会』の冒頭には「明治十九年十一月三日の夜であつた。当時十七歳だつた――家の令嬢明子」とあるから年齢自体は単純計算で得られる。明治19年は1886年、大正7年は1918年。したがって明子49歳。そして、49歳で老夫人と呼ばれることから、また一つと二つと話が進んでしまう。ああ、これ、単純な思い違いなんじゃないか・・・
・主人公は、「H老夫人」を「Hという姓(名)の老夫人」と解している。解析風に記せば「H+老夫人」とか、[H][老夫人]とか、もう少し詳しく書けば[H][老[夫人]]とかになる。
・しかし、これはおかしい。物理的・時間的に年を経たことは「明治・大正」などの表現からも分かりきっている。わざわざ老いたことを別途表現する「老夫人」のごとき表現を使うには及ばない。重複するだけだ。
・とすれば、年を経たことによる実生活や内容面での変化こそ、表現すべき情報であるはずだ。そう見れば、「H老夫人」との表現は、明子が結婚したこと、その相手が(おそらくは姓を)Hという老人だ、ということでぴたりとはまる。「H老夫人」は「H老+夫人」とか、[H老][夫人]とか解すべきもののはずである。少なくとも、たうした解釈の可能性をつぶしてからでないと、「老夫人」との読みは支えのない、根拠の弱い読みとなろう。
・「老夫人」との表現は何歳からなされるか・・・ 興味深い問いかけであり、当時の常識として49歳を老年と見ることはあっただろう。が、この『舞踏会』の例からは、そうした主張はできないことになる。このような曖昧な表現から断案を下したら、卒論やテストなら大きく減点するところである。
・刊行されてだいぶたつので、この種の指摘は多くなされていることと思います。それにしても、信頼している作家なので少々残念でした。
・「一つは、大正七年に《老夫人》になっている明子が何歳か」。実は、明子の年齢自体はきっかけというか材料であって、「老夫人」という単語が表す具体的な年齢がいくつか、を考えたいということらしい。発端は、次の一節から。
大正七年の秋であつた。当年の明子は鎌倉の別荘へ赴く途中、一面識のある青年の小説家と、偶然汽車の中で一しよになつた。青年はその時編棚の上に、鎌倉の知人へ贈るべき菊の花束を載せて置いた。すると当年の明子――今のH老夫人は、菊の花を見る度に思ひ出す話があると云つて、詳しく彼に鹿鳴館の舞踏会の思ひ出を話して聞かせた。 (以上、引用は青空文庫本文による)
・『舞踏会』の冒頭には「明治十九年十一月三日の夜であつた。当時十七歳だつた――家の令嬢明子」とあるから年齢自体は単純計算で得られる。明治19年は1886年、大正7年は1918年。したがって明子49歳。そして、49歳で老夫人と呼ばれることから、また一つと二つと話が進んでしまう。ああ、これ、単純な思い違いなんじゃないか・・・
・主人公は、「H老夫人」を「Hという姓(名)の老夫人」と解している。解析風に記せば「H+老夫人」とか、[H][老夫人]とか、もう少し詳しく書けば[H][老[夫人]]とかになる。
・しかし、これはおかしい。物理的・時間的に年を経たことは「明治・大正」などの表現からも分かりきっている。わざわざ老いたことを別途表現する「老夫人」のごとき表現を使うには及ばない。重複するだけだ。
・とすれば、年を経たことによる実生活や内容面での変化こそ、表現すべき情報であるはずだ。そう見れば、「H老夫人」との表現は、明子が結婚したこと、その相手が(おそらくは姓を)Hという老人だ、ということでぴたりとはまる。「H老夫人」は「H老+夫人」とか、[H老][夫人]とか解すべきもののはずである。少なくとも、たうした解釈の可能性をつぶしてからでないと、「老夫人」との読みは支えのない、根拠の弱い読みとなろう。
・「老夫人」との表現は何歳からなされるか・・・ 興味深い問いかけであり、当時の常識として49歳を老年と見ることはあっただろう。が、この『舞踏会』の例からは、そうした主張はできないことになる。このような曖昧な表現から断案を下したら、卒論やテストなら大きく減点するところである。
・刊行されてだいぶたつので、この種の指摘は多くなされていることと思います。それにしても、信頼している作家なので少々残念でした。