・山田忠雄氏の文章だったろうか。教えを請いに来た人に「その本は、天理図書館以外に、国会図書館にもありますよ」と教えた。しばらくしてその人の著書が出た。そこには、山田氏から教わった事実に触れられないまま、国会図書館本が紹介されていたという。事情を知らない多くの人には、その人が初めから知っていたと読めてしまうではないか。教えることのむなしさ、いや、研究者といえども人の子であることの寂しさを、山田氏は味わったのではないか。
・安田章氏は、『中世辞書論考』の「あとがき」に、次のようにいう。
今回(中略)書き改めることも考えないわけではなかったけれども、最小限の統一を図った外は、旧稿をほとんどそのままに印刷することにした。(中略)当時参照することを怠っていた諸文献の存在を当初から知っていたかのように記しがちであり、踏むべき手順を踏まなかった汚点は、初出の論稿が湮滅したとしても拭い去ることは出来ない(中略)時にはあらぬ方を向いた足跡や足踏みの跡も消してしまわないで、それはそれで残しておこうと判断した結果である。
・安田氏が、山田氏の文章を知って、この文を書いたかどうかは分からないけれども(念のため言い添えれば、「教えを請いに来た人」は安田氏ではない)、こうした潔さは継ぎたく思う。私の書いたもので、謝辞を忘れていることがあったら指摘してほしく思う。
・安田章氏は、『中世辞書論考』の「あとがき」に、次のようにいう。
今回(中略)書き改めることも考えないわけではなかったけれども、最小限の統一を図った外は、旧稿をほとんどそのままに印刷することにした。(中略)当時参照することを怠っていた諸文献の存在を当初から知っていたかのように記しがちであり、踏むべき手順を踏まなかった汚点は、初出の論稿が湮滅したとしても拭い去ることは出来ない(中略)時にはあらぬ方を向いた足跡や足踏みの跡も消してしまわないで、それはそれで残しておこうと判断した結果である。
・安田氏が、山田氏の文章を知って、この文を書いたかどうかは分からないけれども(念のため言い添えれば、「教えを請いに来た人」は安田氏ではない)、こうした潔さは継ぎたく思う。私の書いたもので、謝辞を忘れていることがあったら指摘してほしく思う。