・『年表』の慶長16年刊『節用集』には、その頭に〔真草二行〕との注記が入ってます。おそらく、誰か旧蔵者が親切で示したものを採用したのでしょう。もちろん、原本には一切そのような書名はありませんので、括弧に入れて掲出したのでしょう。
・たしかに、体裁としては、真字(=楷書)と草書を併記するので、のちの『真草二行節用集』と同じ体裁です。そこで、とある原本の旧蔵者が、改装のおりにでも表紙に「真草二行」と補記したのではないか、という想像です。
・ただ、慶長16年本『節用集』と『真草二行節用集』は、細かくいえば、本文系統が異なります。したがって、実際の体裁としては真草二行体だけれども、『年表』としては「真草二行」を補記しなくてもよいのではないかと思います。
┌ 寿閑本 ─ 慶長16年本 ─ 寛永6年本 = 寛永12年本 ─ 寛永年間本
│ ↑(下巻に取り込み)
易林本┤ │
│ │
└ 草書本 ─ 源太郎本 ─ 『二体節用集』 ─ 『真草二行節用集』 ……
・寛永17年の末尾に、未見・未確認のものとして、「節用集 三冊」杉田良庵版が掲げられています。『奥野目録』からの引用です。私はあまり積極的には『奥野目録』を使わないのですが、寛永17年版、あるものなら是非見てみたい。というか、亀田次郎文庫に「寛永年間本」とよばれるものがありますが、はじめの1/4ほどしか残っていません。寛永6年本か12年本を踏襲しつつも、丁寧な版下による、ちょっと惹かれる本です。これが寛永17年版ではないか。だったらぜひ見てみたい。さがしあてたい。
・ただ、杉田良庵にはすでに寛永7年版『節用集』二巻があります。それの単純な再版だったら、ちょっと残念。でも、かたや「三冊」、こなた「二巻」ですから別の本なのではないか。はたまた上図の寛永12年本のように、二巻本の寛永6年本を版木を改造してむりやり三巻本にしたものだとしても、それはそれで面白い。詳しいことは書きませんが、寛永の中ごろから、「節用集とは、三巻本であるものだ」といった風潮があったらしいので、ない話ではありません。また、無理矢理三巻なら、この風潮を裏付けすることにもなるので歓迎します。
・ノーマークだったのが、慶安3年の『節用集』。叡山文庫真如蔵本です。刊記には「慶安三年林鐘吉日敦賀屋久兵衛〔板行〕」とあるとか。17世紀も中盤以降になると『節用集』という単純な名前のものは、まずありません。それだけに気になります。もちろん、単純に古い本の再版かもしれませんが、それでも可。
・『年表』の記載は「節用集(乾本) 一冊」。一七世紀に出版されたほとんどの節用集は「乾」ではじまる「乾本」なので、注するにはおよばない。それだけに胸騒ぎもします。なにか特別な本なのではないかと。漠然とそう感じるだけですが。
・また、「一冊」というのもひっかかります。まだ「三巻通念」が十分生きている時期なので。製本技術の未熟さもあるのでしょうか、一冊にするにしても、一旦、三巻(三冊)に製本しておいて、それを合本一冊にすることが多い時期です。一見一冊ですが、よく見れば段差で三巻であることが知れます。あるいは新技術(竹ひご?)を使って、はじめから一冊に組んだ早期の例かもしれない。わくわく。
・たしかに、体裁としては、真字(=楷書)と草書を併記するので、のちの『真草二行節用集』と同じ体裁です。そこで、とある原本の旧蔵者が、改装のおりにでも表紙に「真草二行」と補記したのではないか、という想像です。
・ただ、慶長16年本『節用集』と『真草二行節用集』は、細かくいえば、本文系統が異なります。したがって、実際の体裁としては真草二行体だけれども、『年表』としては「真草二行」を補記しなくてもよいのではないかと思います。
┌ 寿閑本 ─ 慶長16年本 ─ 寛永6年本 = 寛永12年本 ─ 寛永年間本
│ ↑(下巻に取り込み)
易林本┤ │
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└ 草書本 ─ 源太郎本 ─ 『二体節用集』 ─ 『真草二行節用集』 ……
・寛永17年の末尾に、未見・未確認のものとして、「節用集 三冊」杉田良庵版が掲げられています。『奥野目録』からの引用です。私はあまり積極的には『奥野目録』を使わないのですが、寛永17年版、あるものなら是非見てみたい。というか、亀田次郎文庫に「寛永年間本」とよばれるものがありますが、はじめの1/4ほどしか残っていません。寛永6年本か12年本を踏襲しつつも、丁寧な版下による、ちょっと惹かれる本です。これが寛永17年版ではないか。だったらぜひ見てみたい。さがしあてたい。
・ただ、杉田良庵にはすでに寛永7年版『節用集』二巻があります。それの単純な再版だったら、ちょっと残念。でも、かたや「三冊」、こなた「二巻」ですから別の本なのではないか。はたまた上図の寛永12年本のように、二巻本の寛永6年本を版木を改造してむりやり三巻本にしたものだとしても、それはそれで面白い。詳しいことは書きませんが、寛永の中ごろから、「節用集とは、三巻本であるものだ」といった風潮があったらしいので、ない話ではありません。また、無理矢理三巻なら、この風潮を裏付けすることにもなるので歓迎します。
・ノーマークだったのが、慶安3年の『節用集』。叡山文庫真如蔵本です。刊記には「慶安三年林鐘吉日敦賀屋久兵衛〔板行〕」とあるとか。17世紀も中盤以降になると『節用集』という単純な名前のものは、まずありません。それだけに気になります。もちろん、単純に古い本の再版かもしれませんが、それでも可。
・『年表』の記載は「節用集(乾本) 一冊」。一七世紀に出版されたほとんどの節用集は「乾」ではじまる「乾本」なので、注するにはおよばない。それだけに胸騒ぎもします。なにか特別な本なのではないかと。漠然とそう感じるだけですが。
・また、「一冊」というのもひっかかります。まだ「三巻通念」が十分生きている時期なので。製本技術の未熟さもあるのでしょうか、一冊にするにしても、一旦、三巻(三冊)に製本しておいて、それを合本一冊にすることが多い時期です。一見一冊ですが、よく見れば段差で三巻であることが知れます。あるいは新技術(竹ひご?)を使って、はじめから一冊に組んだ早期の例かもしれない。わくわく。