・山田忠雄(1961)『開版節用集分類目録』を参照していればなぁとのぼやきから。

・『二体節用集』(横本3巻)で、刊記のある、もっとも早い本は寛永3年の嘉久開板本です。これに先立つものに、刊年・刊記のないものがある、というのが山田目録の主張であり、山田忠雄氏の蔵本です。よくみれば、亀田次郎文庫本(国会図書館)にもあり、西尾市岩瀬文庫にもあります。私も持っています(二種)。
・ただ、刊年が記されてないので、『年表』には載せづらいでしょうね。私たちは「元和・寛永頃版」などと呼んでいますが、たとえば寛永三年の項に載せておいてもよかったかなと思います。「山田目録によれば、これ以前の版ありという」とか注記して。
・寛永3年版の本屋・嘉久。私は、後に財閥を形成する住友家の家祖、住友政友だと考えています(マンガもあるよ)。ただ、リンク先にもあるように「嘉休」と書くことが多いので、「嘉久」としか書かれない寛永3年版『二体節用集』はちょっと心もとない。そこで、「嘉久」=「嘉休」を証明しないといけない。で、船橋市立西図書館で寛永6年版の『即身成仏義』『般若心経秘鍵』に出会い、証明できました。
・『年表』では、この2冊『即身成仏義』『般若心経秘鍵』をなぜか載せていません。奥野彦六『江戸時代の古版本』の記述を引用するだけです。国文学研究資料館の調査は1979年(「54年」)になされていたようなので、ちょっと不思議です。たた、刊記には、
為奉報高祖鴻恩蒙貴賎助成
謹以開印板矣
〔本云〕元和二〔丙辰〕暦二月二十一日願主東寺順宗
此點本寛永六年五月上旬令
開板之 員外沙弥嘉久(弥=方+尓)
とあるので、元和2年の分だけを採ったのかもしれません(元和2年の項には記載がある)。

・寛永6年にも『二体節用集』があります。これは『年表』にも掲載してあります。ところが、「寛永六年」の刊年をもつ『二体節用集』は二種類あります。寛永3年嘉久版に細工したものと、純然たる寛永6年版です。ただ、記された刊記はともに「寛永六年/九月吉日」ですが、純然たる寛永6年版は「吉日」がなぜかほぼ一字分に押しつぶしたように変形しています。たとえば上図のように。だから、原本を見比べれば一見して判ります。(なお、上の寛永10年本は、どうやら「六」を削って「十」にしたもののようです。後述)
・活字(というか現代ならフォント?)になると差が分からなくなるわけですが、これはひょっとしたら『年表』メンバーだけでなく、他の多くの人もそうだったでしょう。私もそうでした。だって、目録には活字・フォントでしか載せようがないのですから。「同じ寛永6年本だ」と思ってスルーしてしまうわけです。もちろん、「版木の別よりも文字で書かれた内容の異同を見る」という立場はありえます。ただ、二つの寛永6年本とも書肆名のないことは、この際、気になります。
・なお、現在、細工版は、東京大学国語学研究室と東洋大学本が知られるだけです。あるいは、『年表』の寛永6年の項末に、奥野目録の記載を引用して(=未確認情報として)「敦賀屋版」を挙げています。細工版か本来版かのいずれかにあたるのかもしれません。が、この敦賀屋、ほかにも多くの本があるのですが、どうも既存のものを買い取ったりすることも多かったみたいで、名前を示すのにイレギュラーな場所に書いたりして、よく分からないところがあります。

・そして、前掲の寛永十年本。拡大しました。↑ 以前、書いたことがありますが、実はこれ、数字「十」のところだけ手書きなんです。国会図書館の亀田次郎文庫には「寛永十四年」本がありますが、これも手書き。『年表』では両方とも挙げてませんが、手書きでは致し方ないでしょう。ただ、刊年数字のみ欠けるものは、そうはないでしょうから、刊記のありようの特殊な(その分、注目すべき)ものとして掲げてもよさそうです。

・『二体節用集』(横本3巻)で、刊記のある、もっとも早い本は寛永3年の嘉久開板本です。これに先立つものに、刊年・刊記のないものがある、というのが山田目録の主張であり、山田忠雄氏の蔵本です。よくみれば、亀田次郎文庫本(国会図書館)にもあり、西尾市岩瀬文庫にもあります。私も持っています(二種)。
・ただ、刊年が記されてないので、『年表』には載せづらいでしょうね。私たちは「元和・寛永頃版」などと呼んでいますが、たとえば寛永三年の項に載せておいてもよかったかなと思います。「山田目録によれば、これ以前の版ありという」とか注記して。
・寛永3年版の本屋・嘉久。私は、後に財閥を形成する住友家の家祖、住友政友だと考えています(マンガもあるよ)。ただ、リンク先にもあるように「嘉休」と書くことが多いので、「嘉久」としか書かれない寛永3年版『二体節用集』はちょっと心もとない。そこで、「嘉久」=「嘉休」を証明しないといけない。で、船橋市立西図書館で寛永6年版の『即身成仏義』『般若心経秘鍵』に出会い、証明できました。
・『年表』では、この2冊『即身成仏義』『般若心経秘鍵』をなぜか載せていません。奥野彦六『江戸時代の古版本』の記述を引用するだけです。国文学研究資料館の調査は1979年(「54年」)になされていたようなので、ちょっと不思議です。たた、刊記には、
為奉報高祖鴻恩蒙貴賎助成
謹以開印板矣
〔本云〕元和二〔丙辰〕暦二月二十一日願主東寺順宗
此點本寛永六年五月上旬令
開板之 員外沙弥嘉久(弥=方+尓)
とあるので、元和2年の分だけを採ったのかもしれません(元和2年の項には記載がある)。

・寛永6年にも『二体節用集』があります。これは『年表』にも掲載してあります。ところが、「寛永六年」の刊年をもつ『二体節用集』は二種類あります。寛永3年嘉久版に細工したものと、純然たる寛永6年版です。ただ、記された刊記はともに「寛永六年/九月吉日」ですが、純然たる寛永6年版は「吉日」がなぜかほぼ一字分に押しつぶしたように変形しています。たとえば上図のように。だから、原本を見比べれば一見して判ります。(なお、上の寛永10年本は、どうやら「六」を削って「十」にしたもののようです。後述)
・活字(というか現代ならフォント?)になると差が分からなくなるわけですが、これはひょっとしたら『年表』メンバーだけでなく、他の多くの人もそうだったでしょう。私もそうでした。だって、目録には活字・フォントでしか載せようがないのですから。「同じ寛永6年本だ」と思ってスルーしてしまうわけです。もちろん、「版木の別よりも文字で書かれた内容の異同を見る」という立場はありえます。ただ、二つの寛永6年本とも書肆名のないことは、この際、気になります。
・なお、現在、細工版は、東京大学国語学研究室と東洋大学本が知られるだけです。あるいは、『年表』の寛永6年の項末に、奥野目録の記載を引用して(=未確認情報として)「敦賀屋版」を挙げています。細工版か本来版かのいずれかにあたるのかもしれません。が、この敦賀屋、ほかにも多くの本があるのですが、どうも既存のものを買い取ったりすることも多かったみたいで、名前を示すのにイレギュラーな場所に書いたりして、よく分からないところがあります。

・そして、前掲の寛永十年本。拡大しました。↑ 以前、書いたことがありますが、実はこれ、数字「十」のところだけ手書きなんです。国会図書館の亀田次郎文庫には「寛永十四年」本がありますが、これも手書き。『年表』では両方とも挙げてませんが、手書きでは致し方ないでしょう。ただ、刊年数字のみ欠けるものは、そうはないでしょうから、刊記のありようの特殊な(その分、注目すべき)ものとして掲げてもよさそうです。