・大戦中、日本とドイツは、物資のやりとりには潜水艦を使っていた。情報通信は、電話は盗聴されているので不可。暗号もほとんど解読されている。そこで……
・近代日本は国力を培うため、国内の意思疎通を円滑にする必要があり、方言差を超越した標準語が求められた。このことは、方言は邪魔な存在であるという見方も醸成することがあった。そんな背景を思えば、このエピソードは実に愉快ですね。
・ところで『わたしの普段着』(H20)も新潮文庫版だけれど、先の『わたしの流儀』(H13)とは、書体が微妙に異なる。古い方は「い・う・え・こ・た・な・に・は・ほ」の各画(筆?)が独立している。が、新しい方は、筆の運びを伝えるかのように、細い線でつながっているのだ。「よ」などは終筆を左方に返すようにしている(撥ねている)。ちょっとシツコイぞ。古い方が簡潔で好きだなぁ。
・ただ『わたしの普段着』の方は、一回り大きな字であり、わずかに太くもなっている。老眼向けになっているのかもしれない。もう少しつきあえば、こちらの方が便利に思いそうではある。
・内容は『わたしの普段着』の方が面白く、読みさしにすることはなさそうである。
一つの案が出されて、当時、ドイツに置かれていた日本大使館の館員であった曾木氏と、外務省に勤務していた鹿児島県出身者の間で、早口の鹿児島弁で通話し合った。
それを傍聴していたアメリカ情報部では内容が全く理解できず、その電話による連絡は見事に成功した。(吉村昭「小津映画と戦後の風景」『わたしの普段着』)
・近代日本は国力を培うため、国内の意思疎通を円滑にする必要があり、方言差を超越した標準語が求められた。このことは、方言は邪魔な存在であるという見方も醸成することがあった。そんな背景を思えば、このエピソードは実に愉快ですね。
・ところで『わたしの普段着』(H20)も新潮文庫版だけれど、先の『わたしの流儀』(H13)とは、書体が微妙に異なる。古い方は「い・う・え・こ・た・な・に・は・ほ」の各画(筆?)が独立している。が、新しい方は、筆の運びを伝えるかのように、細い線でつながっているのだ。「よ」などは終筆を左方に返すようにしている(撥ねている)。ちょっとシツコイぞ。古い方が簡潔で好きだなぁ。
・ただ『わたしの普段着』の方は、一回り大きな字であり、わずかに太くもなっている。老眼向けになっているのかもしれない。もう少しつきあえば、こちらの方が便利に思いそうではある。
・内容は『わたしの普段着』の方が面白く、読みさしにすることはなさそうである。