・そうそう、昨日の研究会で不審に思ってたことが解けた。もちろん、きちんと現代語文法を勉強していればよいし、調べもすればよいのですが、つい放置してしまいます。

・それは、形式名詞と呼ばれる「こと」の一種の用法。

 a)私のこと(を)、どう思っているの?
 b)私を、どう思っているの?

この2つ、意味としては同じですね。だったら「こと」の働きは何なのか? なくてもいいのか? いや、あった方が落ち着きがいいということはあるか。

・この世にさまざまなモノ・コトがあるけれど、ざっくり言って、人間が動作・行為をする側になることが多く、それ以外のモノが動作・行為を受ける対象になりやすい。動物も人間に準ずるものと考えてもいい。路傍の石とかは意志もなく、みずからは動かないので動作・行為を受けるばかりの存在。数直線を頭に描いて、さまざまなモノをプロットしてみる。

・文aの「私」は、そういう原則とは反対ですよ、人間なんだから動作・行為をする側なんですが、この文では逆に動作・行為を受ける側として登場してますよ、と明示するのが「こと」の働きなんだそうです。

・とすれば、もうこれは助詞並みの言葉だ。語源とか形式名詞とかで考えていては限界があって、虚心に見ることが必要なんだね。なまじ「分かって」しまうことが邪魔になることもある。

・文aでは「を」が落ちることもあり、それがむしろ自然だとすれば、「受け手を強調するコト」の働きが効いている証拠。効いているから「を」は余計なのだ。文bでは「を」を落せない。主語になっちゃうからね。人間を表す名詞が1つしかなければ、原則どおりに動作・行為をする側に振り分けられるから。