・パワーポイントを見せられると、漠然とした違和感が以前からあったけれど、少しはっきりした気がする(鈍感かな)。
・それは、「立ち止まり」「ふりかえり」が、原則として許されないことだ。「もう少しこのスライドは見ていたい」とか、「さっきの図と比較したい」ということが許されていない。許されたとしても、手間・時間がかかる。それなら、もういいや、と流してしまう。こうなると、パワーポイントのよいところは「相手に対して手際よく格好良く提示すること」ではなく、「相手から詳細な考察・検討のチャンスを奪うこと」にあるんじゃないかとすら思えてる。
・もちろん、スライドを一覧した配布物をもらえることが多いけれど、小さくて見づらいんだよね(メモ用の余白を広くとった?)。照明を落とすこともあるから、余計見づらい。見せるために用意されたものが見づらいとは、どういうことなんだろう。「これだけ明示していますよ」というアリバイ作り、かつ、「詳細な検討封じ」の一環じゃないかと思えてくる。
・したがって、本当に理解を求める発表者は、安易にパワーポイントを使ってはいけない。
・松江の学会でも、耳慣れないキーワードを出発点にした発表でパワーポイントが使われていた。まず、キーワードの理解から入るのだが、飲み込みにくい分野なので、説明もすぐに忘れてしまいがち。気になったときに見返したいのだが、パワーポイントの表示のために照明は落とされている。手許の資料がみにくいのだ。
・隣に座った知人は、少し大きくくくれば発表者と同じ分野の人だが、「難しいですね」と言っていた。私の印象もそうである。ただ、後になってよくよく見返せば、最初のキーワードさえきちんと飲み込めていれば(ということは、そういう工夫を発表者がしていれば、ということである)、あとは比較的分かりやすい話だった。
・もどかしい。発せられては消える口頭言語を定着させるために視覚化が行なわれる(=文字化)。が、パワーポイントは視覚情報なのにもかかわらず、映しては消えていくのだ。時間をかけてスライド(パワーポイントファイル)を作って、プロジェクターを使って、スクリーンに映す…… 理解に資しているのか、労力に見合う結果を引き出せているのか。
・それは、「立ち止まり」「ふりかえり」が、原則として許されないことだ。「もう少しこのスライドは見ていたい」とか、「さっきの図と比較したい」ということが許されていない。許されたとしても、手間・時間がかかる。それなら、もういいや、と流してしまう。こうなると、パワーポイントのよいところは「相手に対して手際よく格好良く提示すること」ではなく、「相手から詳細な考察・検討のチャンスを奪うこと」にあるんじゃないかとすら思えてる。
・もちろん、スライドを一覧した配布物をもらえることが多いけれど、小さくて見づらいんだよね(メモ用の余白を広くとった?)。照明を落とすこともあるから、余計見づらい。見せるために用意されたものが見づらいとは、どういうことなんだろう。「これだけ明示していますよ」というアリバイ作り、かつ、「詳細な検討封じ」の一環じゃないかと思えてくる。
・したがって、本当に理解を求める発表者は、安易にパワーポイントを使ってはいけない。
・松江の学会でも、耳慣れないキーワードを出発点にした発表でパワーポイントが使われていた。まず、キーワードの理解から入るのだが、飲み込みにくい分野なので、説明もすぐに忘れてしまいがち。気になったときに見返したいのだが、パワーポイントの表示のために照明は落とされている。手許の資料がみにくいのだ。
・隣に座った知人は、少し大きくくくれば発表者と同じ分野の人だが、「難しいですね」と言っていた。私の印象もそうである。ただ、後になってよくよく見返せば、最初のキーワードさえきちんと飲み込めていれば(ということは、そういう工夫を発表者がしていれば、ということである)、あとは比較的分かりやすい話だった。
・もどかしい。発せられては消える口頭言語を定着させるために視覚化が行なわれる(=文字化)。が、パワーポイントは視覚情報なのにもかかわらず、映しては消えていくのだ。時間をかけてスライド(パワーポイントファイル)を作って、プロジェクターを使って、スクリーンに映す…… 理解に資しているのか、労力に見合う結果を引き出せているのか。