・あだち充の『クロスゲーム』の校舎のモデルが我が母校らしい。東武東上線沿線だから違うかもしれないが、似てますか?少し小高いところに校舎があり、幅広な階段を降りると広いグラウンド。縁取るようなプラタナス(?)の植木。うまくすると良い絵が撮れるのかもしれない。年に一度くらいはテレビ・ドラマのロケをやっていた。
・比較的お近くに住んでらっしゃるという同業の先達に、「実はここの出身なんです」というと「うわっ! よく研究者がでましたね~っ」と心底あきれられた。先輩方はよほど近隣のみなさまに迷惑をかけていたらしい。あまりの驚きぶりに「いえ、そこそこの学校でしたよ」と言い返す気も起きなかった。ちょっと覗いてみると、努力のきらいな城北気質は健在で、受験科目の少ない私学ばかりに進学している。ほっとしてよいやら……
・学校も生徒集めには熱心ではなかったよう。なんと、暖房設備が教室にはないのだ。生半可な設備で入学者を釣ろうとしないのは潔いが、経営的にはどうなんだろう。ロケ費用で収益の足しにしていたとも言われていたが。我々生徒の自衛策はカイロ持参。使い捨ては出回ってないので、白金カイロを常用していた。そこはかとなくそここことなくベンジンが香る冬。
・先生方も個性的だった。「君たちの貴重な時間を奪って申し訳ない!」と弁明したのは、遅刻した青年熱血教師。ルパン三世似もあって、キザに聞こえない英語の先生でした。別の英語の先生は、大学院にもどられた。そういう道も人生にはあるよな、と身近に感じさせた。その先生のプリントが無縁のはずの我が教室にも回ってきた。「英語アクセントの規則」。思えば、生成音韻論の資料か、成果の一端だったのかもしれない(いや、当時でも受験常識?)。
・国語のK保田先生。「中世の発音が知りたくて能楽部に在籍していた」というから、言語学的センスも古典芸能への理解も深いものがあったのだろう。感覚にまかせすぎないで文法的根拠から味読につなげていくスタイル(こう書くと当たり前のようですが)は好きだったし、近松の「虚実皮膜論」(穂積以貫『難波土産』)が印象に残っているのも得心がいく。K先生の影響で日本文学・文化の学べる大学を選んだのだった。