・1年生の「教養セミナー」という講義。各講座ごとに大学入門のようなことをする。言語系の話しになりがちなのだけれど、それでは専門・専攻の話しになってしまうので、できるだけ、偏らないように気をつけている。私なりに、さまざまな角度から見つめる眼をもってほしいと願っているので、その線からいろんなことを話している。
・今日は北村薫『玻璃の天』に取材(別の意味で偏りが……)。反戦詩として名高い与謝野晶子「君死にたまふことなかれ」(たとえばこちら)。日露戦争の真っ只中で心情を吐露した勇気をたたえるヒロインなのだが、その兄にはまた別の思いが。時代設定は、新たな戦争に向かいつつある昭和10年前後。
 「……昔は、俺もそう思っていたよ」
 「え?」
 「ところがさ、立場によって考えなんて変わるものさ。戦争が現実のものになって来たろう。近頃、駅で入営者の見送りなんぞを見ると、背筋が寒くなるよ」
 だったら、なおのこと晶子に共感しそうなものだ──わたしの顔に、そういう疑問が表れたのだろう。兄は、小声になり、
 「もし自分にさ、ああいう姉がいたらどうだい。軍隊に行っている最中に、あんな詩を書かれたら──」
 一瞬で分かった。
 「ああ……」
 「毎日、どんな目にあわされるか分からない。逃げ場のないフライパンの上で炒られるようなもんだ。俺だったら、血の涙を流して姉さんを恨み抜くと思うな。《自分の考えだけいえばいいのか、俺はどうなってもいいのか》って。──結局のところは、決死隊にでも志願して華々しく死んでみせる以外に、道はなくなる」

・ヒロインには、兄の「近頃、駅で入営者の見送りなんぞを見ると、背筋が寒くなるよ」というくだりも、まったく別の意味でしか理解できていないのが面白い。「一瞬で分かった」以降、見方がさっと反転するのもあざやか。これを例題に示して応用問題へ。大したものではありませんけれど。