・鈴木貞美『日本の文化ナショナリズム 』(平凡社新書)で。近代の日本文化の動態を手際よくまとめてくれるのはよいのだが…… 日本では古くから「「漢文調」と「和文調」を二極とする読み書きをしていた」という流れのなかで、平安時代の状況をについて、こういう。
・術語が生まれる際には、それなりの理由があるのが普通である(なかには不毛な造語もあって美意識を疑わしめるが)。だから、必要な考証も示さずに、問答無用に「ふさわしくない」などとするのは武断としかいえない。
・と、ここまで書いて、対象が違うのかとも思いはじめた。平安時代の話だから、私は訓点語(漢文訓読語)のことかと思ったのだが、鈴木には明治の文体としての漢文訓読体が念頭にあるのか。にしても、明治の概念で平安時代の日本語を断ずるわけだから、誉められたことではない。
日本語の記述にも、「漢文」読み下し体(「漢語」をそのまま読むことが多く、訓読体の名はふさわしくない)や和文体が行なわれた。(86頁)いろいろ問題があるが、やはり括弧内が気になる。「訓読体」を漢字の「訓読み」と同じもののように解したか。「自分の考える「読み下し体」のことを、「訓読体」と言うのかもしれない」と想像しなかったのか。あるいは、読者サービスとして、一般的でない「漢文訓読体」を分かりやすく言い換えた? ならばそう明示すべき。
・術語が生まれる際には、それなりの理由があるのが普通である(なかには不毛な造語もあって美意識を疑わしめるが)。だから、必要な考証も示さずに、問答無用に「ふさわしくない」などとするのは武断としかいえない。
・と、ここまで書いて、対象が違うのかとも思いはじめた。平安時代の話だから、私は訓点語(漢文訓読語)のことかと思ったのだが、鈴木には明治の文体としての漢文訓読体が念頭にあるのか。にしても、明治の概念で平安時代の日本語を断ずるわけだから、誉められたことではない。