
・結局のところ、「異文化理解」なのではないか。いろいろなモノゴトを見ていると、ときどき、不思議に思えることがある。自分には理解できないのだが、それでもそのモノゴトは、何の不足もなく正常に機能している、動いている。いや、モノゴトだけじゃない、ヒトやヒトの行為だってそうだ。
・寒いのになぜミニスカートをはくのか。自分には、自虐にしか見えない行為でも、そのヒトは積極的にやっている、満足している。不思議としか思えない。でも、そのヒトなりの理由・理屈があるんだろう。
・言葉の話にしよう。岐阜市近隣では「神輿をツル」というヒトが少なくないが、他の地域の人には不思議で奇異にしか思えないだろう。なぜ、神輿と魚が同じツル(釣る)なのか。支持物から下げる・下がるならツルでいい。でも神輿は支持物(担ぎ棒)の上に来る。なのになぜ? 岐阜なりの理由・理屈があるんだろう。
・そうした「○○なりの理屈」を解明して分かることは、異文化理解ということにならないか。自分には理解できない理由が、理由として通用しうるような文化背景があるんだろう。そうみれば、意外かもしれないが、日本のなかにだって異文化は豊富にある。お隣の家族や、ひょっとしたら自分の家族ですら「異文化」で動いているかもしれない(というか、そう考えた方がいい。……ですよねぇ)。何も、外国語を学ぶだけが異文化理解に限るまい。
・過去のモノゴトだって、現代の理屈とは異なる部分があるわけだから、「異文化」とみてかかったっていい。となれば、うちのゼミだと、方言・国語史で卒論を書くことが多いけれど、みんな「異文化理解」をしようとしている、ってことになるんじゃないか。こう見てくると何をするのか、そのためにどんな道具立てを準備・整理しなくちゃならないか、分かった気になりませんか?