・「試合」という言葉、ちょっと違和感のある使い方がなされることがあります。これは私だけのことかもしれませんが。
・まず、相手と直接一対一で戦って勝敗を決するスポーツというのがあります。野球・サッカー・バレーボール・バスケットボール・柔道・剣道・フェンシング・レスリングなどなど。これらについて「試合」というのはよく分かるんです、というか、私としてはしっくりくる。ことに「合(あう)」の部分に、駆け引きや、相手への直接的な攻撃の応酬を含意すると見ているのでしょう。
・ところが、記録を競うスポーツもありますね。陸上・競泳・フィギュアスケート・スピードスケート・ジャンプなど。これを「試合」というのはちょっと抵抗があるんです。相手に直接攻撃などしてはならない競技だから、そう感じるのでしょう。ただ面倒なので、昨日のように一緒くたにして「試合」を使ってしまいますが。
・もともと「試合」の「し」はサ行変格動詞スルの連用形と言われています。だから、「試合=し・あい」は「あることを共にすること」なので、一対一型であろうと記録型であろうと、別に目くじらを立てることではない、という考え方もできます。
・が、それは一種の詭弁なのかもしれません。調べてみなければ分かりませんが、過去において、記録の競技会を「試合」とは言わなかったかもしれません。それが徐々に崩れてきて勝敗競技と同様に「試合」と言うようになったのかもしれません。
 また、私という一人の言語生活者が、現にある違和感を持っていること自体、興味深い言語事実でしょう。どうしてそのような違和感を持つにいたったかを追究することは、「人間を科学する」人文科学研究の課題として成立すると思うからです。