辰濃さんの新刊

辰濃 和男
歩き遍路―土を踏み風に祈る。それだけでいい。

の中で

私のフィールドワークについて取り上げていただきました

もう、4、5年前の状況なので

お遍路の宿を巡る事情も、変わりつつあるのかもしれませんが…


久万の甲斐さんを通じてお話があり、

物書きのはしくれとしては憧れの辰濃さんとお会いすることになり

ここはひとつ文章についての有意義な話をお聞きして…

という当初のもくろみをすっかり忘れ

遍路話にばっかり花を咲かせる数時間でした

とてもダンディーなおじさまで、お歳よりずっと若く見えます

沈黙の間には、

「今まさに頭の中で

あの端正にして勢いのある文が組まれつつあるのだろうか…」

とか勝手に推測する私



帯に「読む遍路」とある通り

四国を歩いた人ならば「そう、そう!」と

深く頷ける心境・出会いをつづった箇所がたくさんあり

頭から読み終えた頃には、

まるで四国をひとまわりしたような気分になれました


岩波新書の『四国遍路』もそうですが

随所に登場する植物の名前が印象的です

(恥ずかしながら、知らないものが多い…)

孤独な遍路の最中に、道端の草花に目がとまり

心動かされる機会は結構多いのだけれど、

花の名ひとつ知っているだけで、表現に厚みが出るもんだなと

(かといってやりすぎると煩くなるのでさじ加減が大事だけど)


さすがの筆の冴えはもちろんですが

個人的には、70歳をすぎてこんなに実り多い

豊かな遍路旅ができる、という点だけでも

足や体力に不安を抱えて躊躇している中高年(例:わが父)の

背を押す力になるのでは、と感じます


夏に歩いたことも影響しているだろうが、
へんろ道を歩いていると、道ばたで
よく生き物の死体に出会った

はねられ、スカイラインの側溝で腐っていたタヌキ
自動販売機のガラスにみっしり詰まっている
おびただしい羽虫の死骸
轢かれて、骨を見せてアスファルトにへばりつく小蛇
それに群がるアブ
鳥に食われてか、すっぱり頭を失ったカブトムシ


8月の猛暑の中、朦朧としながら歩いていて
トンネルの薄暗がりの中で何かの骨を踏みつけた
踏んだ瞬間に、確実に木の枝などとは違う感触が走った
鳥か、ネコだったか
小さく振り返って、ごめんなさいと手を合わせて
南無大師遍照金剛と唱えてそのまま道を続ける


菊間から今治への海沿いの国道にネコの轢死体をみる
アゴが砕けている他には目立った外傷はない
このままここに置いておいたらきっと
また何重にも轢かれてしまう
探している人がいるかもしれないけど
毛並みが悪く首輪をしていないから、
たぶん野良猫なのだろう
躊躇の後、硬直した体を抱き上げて
すぐ横の松原に穴を掘って埋めた
盛夏には却って花もなく
私が手向けられたのはいくつかの松ぼっくりと
ご真言と般若心経ばかり
願わくばこの功徳をもってあまねく一切に及ぼし
我らと衆生と皆ともに仏道を成ぜんことを


石鎚の山を望む国道歩き
杖の音に驚いて草むらからバッタが飛び出し
何匹かは、傍らを走る車のタイヤに巻き込まれて
目の前で飛び散った
ああ
私さえ今ここを歩かなければ、
このバッタは死ぬ事もなかったのにな



山登りの時も、同じような気持ちになるが
歩き遍路をしていると「命はこんなにも軽いものか」
と感じる
死体の山の上に奇跡的に生きる命も
いずれあっさり死んでその山の一部になると
そして「軽いからこそ尊い」のだと

漂泊の俳人・種田山頭火は
父の世代が若い頃にブームだったようで
家に何冊か本もあり
ドラマ化されていたのを見た記憶もある
正直、ふしぎな味わいのある作風以前に
酒に負け、周りの人を不幸にし続ける生き様が
中高生の感性では受け入れ難く、長いこと
「かわいそうだけど、だらしのない人」
という以上の印象は持たずにきた


2度目の区切り打ちを終えてはじめて
山頭火も四国遍路をしていたことを知り
ふんふんと本を手に取ってみる
行乞をしたり、野宿をしたり、
不潔でわびしい遍路宿に泊まったりの記述がおもしろい
途中でドロップアウトして旅をやめているのも
いかにも山頭火らしい
そして、ある句に絶句する


 (室戸)
 わだつみをまへにわがおべんたうまづしけれども



私が室戸岬に至ったのは3月半ば
この旅では毎朝、宿でごはんと漬物をタッパに詰め、
防腐用にシソのふりかけなどかけて、
お弁当にして昼の食費を浮かせていた
柳水庵のおばあちゃんに
「昔のお遍路さんはみんなそうしてましたよ」と教わったから
同宿のおじさんに「さすがに僕はそれはようやらん」と
笑われたこともあったけれど
確かに、普通の旅行だったらまずできない行為だが
遍路の旅にはよく似合う食事のような気がした


日和佐を発って3日目、
足を引きずって、何度も岬の影にだまされて
ようやく辿り着いた最御崎寺でのお参りも無事終え、
春の日に暖められた月見が浜の岩の上で
朝、タッパに詰めてきたお弁当をひらく
まるく明るい水平線を満喫しながら
靴下を脱いで、大いに満ち足りて


…と、くだくだ書いてきた景色と心持ちが
自由律のひらがな22文字で、ぱあっとくまなく甦る

太平洋を前にちんまり座ってシソ飯を食べる私の姿が

確かにそこにはあって
それはもう、額を打たれたような衝撃


写真家の横山良一さんも、山頭火と遍路はよく似合う、
むしろ、今の若い奴らは、遍路でもしないと
山頭火の良さなんてわかりゃしないよと仰っていたが
確かに、歩く旅、野宿の旅、長い旅を終えてみると
元祖ダメ人間の残した句のいくつかが
以前と違ってぽんぽん心に飛び込んでくるようになった

もうひとつ選ぶとしたら


 月夜あかるい舟があつてその中で寝る


だろうか

遍路から戻ってからよく聞かれ、ギャップを感じる質問の一つは

「四国霊場って言うからには、やっぱり何か出るの?」

なるほど、たぶん現代における一般的な「霊」の字のイメージは

「心霊・幽霊」の霊であって、

仏さまの起こす奇跡「霊験」の霊ではないんだなあと。

お四国を歩いていると、「なんぞご利益、おかげはありましたか」

と聞かれることも多く、

特に願掛けの筋あってというより、

大切な方の冥福を祈りつつ、

自分を見つめる旅をしていた私としては、

もう毎日歩かせていただいてるだけで幸せで、

ご利益だらけですという感じでしたが。


やはり決して洩らせぬような強い強い願いを抱いて

歩いているらしき人は今でもおり、

医療の発達していなかった時代ならばなおさら、

病に苦しみ、お大師さま仏さまにすがるよりない人々が

望みをかけてお四国をまわっただろうことは、

寺に奉納された杖、ギブス、箱車等の類から偲ばれます


ある時、境内での通夜のさなか、

うとうととまどろんだ夢の中に現れる仏や僧の姿。

たちまちにして癒える痛み、開く目、動く足。

喜びのあまり、必要なくなりました杖を奉納いたします。

時には指まで切り取って、お納めいたします。


四国霊場の「霊」の字は、神仏の気配だけでなく

きっと今では想像もつかないほど切実にご利益を求めた

庶民の祈りの激しさの名残りを漂わせている気がします


東京から愛媛の久万に移住され、木器を作ってみえる木地師

甲斐さんご一家の作品展が、今週末より目白で開催されます

機会があれば訪れてみてください

四国の木で作られた器は、ぬくみがあって美しく、実用的です

http://www.geocities.co.jp/Hollywood/6859/



甲斐さんご一家の暮らしぶりについては、

辰濃和男氏『四国遍路』


お母さんの甲斐芳子さんご自身の著書

『ムササビの森の昼ごはん』

『ムーチョン兵衛 山に帰る』

『森からの通信』

など


ご家族全員お遍路の経験者です

私はお遍路中、調査中と2回もお邪魔して

お世話になりっぱなしです


四国の土地の人たち、生き物たちと真剣に向き合いながら、

土に根を張った暮らしぶりに憧れます

最近流行の「ロハス」とか、このご家族を前にすると

何だか薄っぺらいものに感じられるのです



甲斐 芳子
ムササビの森の昼ごはん
甲斐 芳子
ムーチョン兵衛 山に帰る
甲斐 芳子
森からの通信

辰濃 和男
四国遍路

お遍路中、本当にたくさんの

有形無形のお接待をいただきました。

その後、追加調査で2回ほど四国を訪れる機会があった時、

「私もお遍路さんに何かしたいなあ」と思い

「お接待袋」を家で作って持っていくことにしました。


ビニール袋の中に


・飴玉 「塩あめ」「レモンあめ」2個ずつ

・1回使いきりサイズになっている「ごましお」

・個包装のプルーン

・水に流せるポケットティッシュ

・バンドエイド2枚

・杖に貼る反射テープ


こんな感じで20袋ほど。

軽くてかさばらず、歩いてる時にもらったら嬉しいかな、

と思ったアイテムを選んだつもりですが、いかがでしょう。


道々で会ったお遍路さんに渡したり

善根宿に「ご自由にお取りください」で置いてもらったりしました

喜んでいただけたなら、嬉しいのですが。



今日、辰濃和男さんとお会いしてお話しているうちに、

改めて考えたこととして、

お接待は、「受けた親切を、その相手に返す」というより、

「受けた親切を、名も知らぬ誰かに返す」という

変わった循環のかたちを可能にしているんだと思います。

お遍路をしたことのない人にこのへんを説明するのは難しく、

毎度毎度苦しむのですが、

少なくともこのお接待による不思議な尊い循環を

「偽善」のひとことで片付けさせはしないぞ。


貴重な旅の記憶を刻むため、
遍路の最中に熱心に写真を撮影し
帰ってから、時にはリアルタイムで
個人のHPにアップする人も多いよう。

写真に凝っている人にはもちろん、
ふだんカメラを使わないような人でも
遍路の最中には、出会った人やいろいろなものに
カメラを向けたくなるようです。


しかしながら、カメラの重さと嵩は
歩く場合には無視できない負荷に。
私が歩いた2001年当時は、
まだそれほど デジカメも普及しておらず、
ごついコンパクトカメラをお供に歩きました。
徳島で会った写真愛好家のおじさんは、
「三脚を真っ先に送り返しました。とても持って歩けない」
高知のある宿のおじさんは
「撮影済みのフィルムを、1本1本送り返してる人もいる。
それだけ歩き遍路は重さに泣くってことだね」


今だともう軽くてコンパクトなデジカメが主流だろうし、
解像度が良くなってきた携帯電話のカメラを
利用する人も多いのかもしれません。
その意味では、カメラにこだわる人でなければ
持ち運びしやすく、フィルムも要らないし、
便利になりましたね。


しかし重さをクリアしても、歩いてる最中に
「立ち止まり、ザックを下ろして、中のカメラを取り出し、
構図を決めて、撮影して、またカメラをしまって、歩き出す」
という一連の行為は、相当なエネルギーが必要…


写真家の横山良一さんは 首から下げたりなどせず、
気に入った風景を見つけるたびに カメラを取り出して、
シャッターを切るのだと仰っていました。


これは個人差もあるだろうし、私が面倒くさがりなだけかも
しれないけれど、 「あっ」と思うような風景をみつけても、
自分に余裕がなく 素通りして後悔したこと数知れず。

靴を脱いで渡った川
雨宿りした屋根から落ちる雫
霧の中にぼうっと咲く合歓の花
横浪三里の断崖絶壁
道を教えてくれた漁師さん
飴玉をくれた道路工事のおじさん

記憶には確かに刻み付けているけれど
ああ、写真にも撮っておきたかったなあというシーンは
たくさん頭をよぎる
写真をいっぱい撮りながら旅をする人は
エネルギーがあるんだなあと感心します。



できばえに関しては、
「作品じゃないしー、記録としてのメモ代わりだしー」と
自分に言い訳しても、センスの無さに落ち込んだり…orz
「宿」の研究をしていたので、善根宿や通夜堂の内部など
詩情溢れるとはいえない写真が多いですが
たまたま気力がある時に捉えた旅のひとコマを
このブログにもちょこちょこ貼っていきたいと思います。



最後にアドバイスとして、デジカメや携帯は、
歩いてる最中に 首から下げたり、
ポケットに入れたりしていると かなりの確率で壊れます。
これで何人も泣いてる人を見ました。
1日中続く振動と、夏場の汗が機器に与えるダメージは
半端じゃないので、お気をつけあれ。


横山 良一
四国遍路〈2〉修行―土佐・高知編

色鮮やかな写真もステキですが

私は旅にゆれる心をナマで綴った紀行文も大ファン

「遍路って、結局スタンプラリーでしょ」

よく頂戴する指摘のひとつです

うん、否定しません。
心構えはひとまず置いておいて、
仕組みに目を向けてみると
ある程度格付けされたチェックポイントに番号が振られて、
順番もほぼ決まっていて、
ポイントでは来場の証に納め札をおさめ、
納経という名目でスタンプももらえたりして、
少しずつ埋まっていくことにシアワセを感じる。
周るごとに札の色がグレードアップしたり。
人間、と言うのがおこがましければ、日本人が
こういうものを嫌いなわけがない、という要素を
みごとに備えてる。

「遍路で自由を感じるっていうけど、
行く寺も、順番も、通る道も、
着るものまで決まってる旅の、一体どこが自由なわけ?」

数年前、浮かれまくって遍路体験を語る私に友人が放った、
非常に本質的な問いかけです。
確かにそうだ…と煩悶して出した結論は、
人は結局、ある程度規定された「縛り」の中でしか、
動くことはできないのかもしれないということ。
裸一貫で放り出されて、どこに行くのも何するのも勝手
好きなように旅しなさいといわれたら、
多くの人は困ってしまうでしょう。
そんな時、スタンプラリーの構成要素である
「格付け」「共有」「訪れた印」は、
とても心強い指標になってくれます。

「同じような姿で、同じ寺に参り、同じ道を通っても、
体験し感じることは、他の人と似ていたり違っていたりして
最終的には、一人ひとりオリジナルの経験になる」
という絶妙な「縛り」の加減が、遍路の醍醐味なんだと思います。
これが例えば道も行き場所も自由だったら
「あの遍路ころがしの坂は、そんなに急でもなかったね」
「いや、私が歩いた時は雪で滑って大変で」
「私は夏だったもんで、虫がすごかったですよ」
という会話も成立しないわけで。

例えば誰も知らないような寺と道を結んで、
40日かけて四国一周してみよう、と思いつくか?
納経帳が御朱印で埋まっていくのって、
正直やりがいがあるし、楽しくないか?
旅に取り組みやすく、他の人と体験を共有しやすく、
達成感をもたらしやすくしてくれているのには
間違いなくスタンプラリー的な要素が一役買っている。
一見、マニュアルで決められた旅の対極にあるようでいて
骨組みはある程度の独特な決まりで縛られている。

では、旅の途中で確かに感じたあの「自由」の正体は
一体なんだったんだろうという疑問は、今も解決せず
もどかしいままなのですが。


ちなみに私は、遍路というものは
長い伝統に基づく宗教行為であると同時に、
実によくできたシステムの一種だという目で
見ることにしています。
「いろいろな要素を内包してうまいこと築かれ、
長いこと続いてきたシステムに、今
乗っからせてもらっているんだな」という認識を持つこと。
手放しで「遍路はイイわー」と賛美するのではなく、
「じゃあどのへんがうまく出来ているのかな」
と感じ、考える感度と頭を
旅の中にあってもなるべく失わないこと。
それが、一見「調査」らしきことなど何もせず、
ただ旅を満喫しているようにしか見えない私なりの
「民俗学に片足突っ込んでる者」としての、
ささやかな取り組みでありました。

なんだかんだで半分ぐらいは国道を歩くことになる遍路道

否応なしにトンネルも通って進むのだけど、

こいつがなかなか、くせものでして


はじめに洗礼を受けるのは、日和佐から南下して室戸に至る、

入り組んだ海岸線をぶち抜いて走る国道55号

高知入りしてからは、山間部でちょこちょこ

愛媛も松山までの道のりで、山中に長いトンネルがいくつかあらわれ、松山を過ぎてからはほとんどなくなる


普段、車で通過することはあっても、

トンネルの中など誰も好きこのんで歩かないでしょう?

車の方も、まさか人が歩いてると思って

運転してないだろうし、迷惑かけます…


足元には針金やら軍手やら謎のゴミが吹き溜まり

下水溝のフタに杖を取られてけつまづく

後ろから迫る車の音はよく響き

もし幅寄せされたら逃れる方法なんてなく

身を縮めながら、「出口まで●00m」の表示がひたすら頼り


灯りや歩行者通路の幅などの整備は、

トンネルによってほんとにまちまちで、

距離が長くても、歩道をちゃんと縁石で区切って

1段上げてくれているようなトンネルは本当に安心して歩けるし

白線と壁の間がオイ(゚Д゚;)というほど狭くて、

ものすごく恐ろしい場合もある

自転車はパンクの恐れもあるから、徒歩よりさらに怖いだろうな

いちど、トンネルが工事中で車両通行止めになっていて、

車線ど真ん中を堂々と歩けたのは楽しかった


実際、トンネルで交通事故に遭って亡くなるお遍路さんは

昔からいるようで、幽霊が出ると言う伝説のトンネルもいくつか

白装束は暗い中での視認性が高いので、安全面でもオススメ

地元警察も反射タスキのお接待で事故防止に努めている



お遍路用の地図には、トンネルを迂回するような峠越えの山道が

案内されている場合もあるけれど、

やはり時間がかかるのと、道の荒れ具合などの状態が読めないのと、ぼやっと歩いていて迂回路の入り口を見逃していつのまにかトンネルの前に出ていたりで、結局トンネルを利用することが多かった

お遍路さんには、なるべくトンネルではなく風情ある道を好んで歩く人もいれば、同行人Y君のように

「僕はトンネルと山道とある場合、

何も迷わずトンネル選んでますよー」と清々しい回答の人も


一番怖かったトンネルは、伊予・四十三番明石寺のある

宇和町を過ぎて、大洲へ向かう「鳥坂隧道」

前日に宇和島のユースホステルで会った松山の男の子が

「あのトンネルは怖かった」と連発していたので、

覚悟はしていたが、確かに…

渋滞が起きるほどで交通量が多いうえに、歩道がほとんどない。

カベは排ガスで真っ黒。

出口に着いた時には「生きてて良かったっ」と口走ったぐらい

1時間ぐらいのロスなら、鳥越峠の山道を迂回した方が

いいかもしれない


思い出深いのは、土佐・三十七番岩本寺のある窪川から

南下して海沿いへ向かう途中に表れる「熊井トンネル」

レンガ造りのかわいい小さなトンネルは明治38年完成

人々は佐賀の港から1個1銭でレンガを運んだそうだ

幅は車1台通るのがやっとで、今は国道を離れ

ひっそりと山中に埋もれていて風情がある


この日もとにかく倒れそうなほど暑くて暑くて、

誰も歩いている人なんかいなかったなあ

トンネルが作ってくれる日陰が心底ありがたかった

笠を脱いで、吹き抜ける冷たい風を頭に通した



これは、お遍路さんに不用意に聞いてはいけない単語その1です

試験に出ますから覚えてね


なぜならこんなご時世でも、お遍路さんの中には

あまりにも深い苦しみを抱えて歩いている人も多いから

もちろん、そうでない人もいるけれど


なぜ遍路に?と聞かれて、その時は笑ってごまかしたり、

「いやあ単なる好奇心ですよ」

「定年後の夢でね」

とか言っている人が、

旅の途中、何かの拍子で口をひらくことがある


実は、



母が亡くなったんです


震災で家族を失って


先週離婚したばかりで


突然リストラされまして


妹が治らない病気で


子供が事故で死んでね




苦しみに満ちた話が飛び出してくる確率は、正直かなり高く

その重さを受け止める覚悟が無い限り

あまりあっけらかんと尋ねない方がいい


話を聞いて、何もできないなりに一緒に泣いてあげるのも

それはそれで一つの救いにはなるかもしれないけど




私の話はまた今度