【東京湾竜宮伝説】①降りてきたアセンションメッセージ 今、明らかに! | アーントマサコ★輝く未来へご案内

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降りたメッセージやヴィジョンを作品として表現
日本を代表する透視能力者と専門誌が紹介
五反田TOCスピリチュアルフェスティバル主宰
マサコメソッドヒーリングスクール主宰
フナイフォーラム、東京癒しフェアーに出展
東京五反田、横須賀をベースに活動

 

 


この話しは多少前後しますが、今から20年以上前に私が体験したことを掘り起こしました。

インターネットホームページに上げた当時の文章と写真に加筆訂正させていただきました

 

この作品は心霊科学協会http://www.shinrei.or.jp/ の機関誌と

 

季刊誌スターピープルに連載されました。

無断転載禁止©2018aunt masako

海の女神の物語Ⅰ

 

降りたメッセージ

京急大津駅前のから車で約10分ぐらいの所に『古事記』、

 

『日本書紀』に出てくる走水(はしりみず)があります。


そこに今回の物語の主人公となる


弟橘媛命(おとたちばなひめ)と


日本武尊(やまとたけるのみこと)を祭神とする


走水神社があります。

ある朝、私は不思議な夢を見、

その中で次のようなメッセージを告げられ、

これはそれにまつわる人が次々と現れ、


お話頂いた内容を掲載致しました。

2年間感じる所があって、

 

歩いて走水神社に日参しました。

すると不思議なことに

ある日の早朝、夢の中に、メッセージが入りました。

 

 

 

 ことだま ほぐして いやはや まかし

 

 

   天(あめ)の みことば つたえませ

 

 

 ことだま ほぐして いつまた帰る

 

 

 天(あめ)の ことだま つたえませ

 

                             音橘媛命

 

 

 

その時の様子は、あたりが黄金の光で照らし出され、

 


雅な楽の音が聞こえてきました。


五色の旗が風に美しくなびき、その中より、


柔らかい薄絹の十二単の様な着ものを召し、


髪には美しく光り輝く、


ティアラのような金色の髪飾りを付け、

 


手には扇を開き、


それは、それは美しい声で歌い、


美しい姿で舞う様子でした。

 

 

 



 

      
          夢に出てきた音橘媛命

 

 

「おとたちばなひめのみこと」と名のり、

 

 

「音橘媛命」という字が出てきました。


<ひめは音楽の才能にも優れた方たったのでしょうか。

 


       

 メッセージの意味

 

チャネリングして、そのメッセージ通りにしなさい。

 

そして宇宙からのメッセージを多くの人々に伝えなさい。
 

ー                   内なる声に耳を傾け、いつでもアセンション出来るように備えなさい。


そして内なるメッセージを多くの人々に伝えなさい。

 

                          おとたちばなひめの命

 


 

 

アセンションして海の女神になった、


弟橘媛命(おとたちはなひめのみこと)の物語が始まります。

 

 


 

 

 

 

弟橘媛命と日本武尊

 

 

 

景行( けいこう)天皇の東国遠征の命を受けた<


日本武尊(やまとたけるのみこと)は、

 

さがむ(相模)の国に行くと、

 


弟橘媛命と共に野原に誘い出されて、

 

四方から火を付けられました。

 

 

その時, あめのむらくもの剣で草を薙ぎ倒しました。

 


火打ち石を取り出して、こちらからも火をたいて難を逃れました。

 

それ以来、その剣を草薙(くさなぎ)の剣といい、

 


その場所を焼津(やいづ)と言うようになりました。

 

更に東を目指して東京湾を渡ろうとした時に、

 


にわかに大波が起こり、船は進むに進めず、
戻るに戻れず。

 

妃(きさき)のおとたちぱなひめは、 海神の怒りをしすめようと、

 尊の身代わりとなって、 海中に身を投じました。 

すると、海はなぎ、 船は水の上を走るように進みました。 

それで、そこを走水(はしりみず)と 言うようになりました。

 


2015年9月の御所ヶ崎と旗山

 

御所ケ崎と旗山 日本でで初めて光が灯された洋式灯台のある観音崎。 

そのほど近い所にある走水神社と御所ケ崎。 

 

弟橘媛命と日本武尊のゆかりの地。 国道十六号線の終点が観音崎です。 

三浦半島のなだらかな山を一つ越えると、 

 

小さなこんもりとした小高い丘が海岸線に 突き出ているのが見えてきます。

そこが御所ケ崎です。 

 

日本武尊が東征の折り、対岸の千葉に渡る準備のために、 

走水で仮御所を定めた所が御所ケ崎です。 

 

その背後の山は尊の旗を立てた所なので旗山といいます。 

別名、旗山崎ともいいます。

 

 弟橘媛命が入水され、亡くなられてから、七日目に媛に代わって

櫛が浜辺に流れ着いたといいます。 

 

その櫛を当時の村人が拾い納め、旗山に御陵を造りました。 

 

そこに長い間、橘神社として祭られていましたが、 

1843年(天保十四年)江戸幕府によって台場が築かれ、

 

 1886年(明治十九年)更に、 明治政府によって軍用地として買収されました。 

 

橘神社は撤去されて、 走水神社本宮の横に小さな祠として祭られていました。

 

なお、この御所ケ崎・旗山は戦後間もなく、 アメリカ軍の占領地となったことがありますが、 

現在は横須賀市が所有しています。 

 

現在、あまり整備をされないままグリーンの柵に固まれ、 戦争中の砲台の跡が放置されています。 

花の咲く慰霊の公園を横須賀市が造ってくれるといいのですが。 

 

御所ケ崎に立つと、強い神聖な霊気を感じます。 

しかも人が旗山の林の中へ入るのを拒んでいます。

 

林の中に臼衣をまとった弟橘媛命が見えます。

弟橘媛命の櫛はかなり深く埋められたように見えます。 

 

そのため明治政府が橘神社を撤去した時に 見つからなかったのです。 

もし走水神社に櫛らしき物があるとすれば偽物です。 

 

この先の海の底に、御数珠の様に連なった弟橘媛命の侍女たちの霊です。 

まだその霊は癒されてはいません。 

後に侍女達の霊を守る祠が新設されました 侍女たちは弟橘媛命と違って、

自分の意志とは関係なく、 荒れた海に入水させられたのでした。

悲鳴を上げながら海の中へ落とされた。

 

そこを『むぐりの鼻』と言い、御所ヶ崎の 最先端の岩礁です。

 

悲しい物語です。

 

 

 

走水の海 手前が走水港 奥が対岸の千葉房総半島 上房 2015年9月撮影 旗山の林

 

1996年9月のある日、スピリュチュアルな事を研究しているA氏を


御所ケ崎へ案内した時の事です。 それは波の静かな雲一 つない良く晴れた日でした。 

目の前の海と空の一部が真っ黒に変わりその中に 映画の一シーンの様に荒波の中で木の葉のことく揺れる、


 

白い四角い帆を張った古代の船が見えました。



御所ヶ崎の先端 1990年代の写真 

 

秘密の泉 御所ケ崎より更に観音崎方向に国道十六号線を行った所に、 

 

走水神社があります。 走水神社に行くには、東京湾の釣り船の漁港となっている

 

走水港の所で山側の細い道に入り、そこに車を止めて歩きます。

 



走水港 1990年代の走水港


 

側溝には絶えずきれいな水が流れています。


その水が流れてくる山側の方へ、

 

人がすれ違える程度の小さな道をたどって竹くと、


富士山の地下水を源流とすると学者がいう


波動の高い非常に美味しい湧き水があります。

 


 

秘密の泉 1990年代の写真

 

先ほど来た十六号線の途中に横須賀市、水道の発祥の地。


現在も水道として使われている走水水源地があります。

走水といわれるようになったもう一つの説は、


山の方からたくさんの湧き水が走るように

 

 

ここの湧き水は、富士山の宝永の噴火でたくさんあった湧き水が

 

 

寸断されて現在のようになりまし


 

ここを守っている人は平安時代の「鈴」という人です。


 

巫女さんが持つ鈴を持って、お守りしております。


そういうビジョンが見えます。


 

東北大震災の折、地殻が変わったた為に、


 

今では以前のような水量がありません。

 

 

 

2015.11.4の走水神社  左側に新しく立った侍女たちを祭る祠が見えます。

 

アーントマサコのヤフー占いがリリースされました。ぜひお立ち寄りください。

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