少し夏休みのお話は置いておいて
ちょっと真面目な話をしたいと思います!
わたしは前の自己紹介でも言ったように、
教師になるのが昔からの夢でした

それは、中学三年生の頃に
学校代表で長崎に行ったことがあり
そこで原爆や核兵器の恐ろしさを目の当たりにし、また被爆者の方から実際の体験を聞き、この日本であった出来事を未来にも伝え続けなければならない。
そして伝えていけることができる職業を考えたとき、まっさきに出てきたのは歴史の先生でした。よし、戦争を子供に伝えなくてはならない!被爆者からの体験談を実際に聞けたからこその気持ちでした。
将来、被爆者の方は皆なくなってしまいます。だから、私達が伝えていかなくてはという使命感を感じたのです。
でもこの出来事は、私の将来の夢を促進してくれたものであって、原点ではありませんでした。
私はそれ以前からずっと教師になりたかったのです。でも、どうしてもなぜ教師になりたいと思ったのかが思い出せなかったのです。
しかし、今から考えてみれば
原点が薄っすら分かりました。
その原点を思い出せなかったのは、
思い出したくない記憶だったからなのかもしれません。
今思い出してみれば、
いいことばかり…いや、いい思い出しか浮かんでこないのですが、そんないい思い出は思い出したくない記憶になってしまっていたのです。
いい思い出しか浮かんでこないのも、
ある意味短い期間の、たった一年間の出来事だったからかもしれません。だからこそ、嫌な思い出は消され美化されたのです。
しかし、最後のあの出来事で
いい思い出は思い出したくない記憶に
変わってしまった。
私が実際に体験したこの出来事を是非皆さんに聞いて貰いたいのです。
やはり、実際に体験していない人からしたら、そんなことか!って思うかもしれませんが(笑)
私は、その出来事を忘れた日は一度もありませんでした。
まさかその出来事が、私の夢に関係あるとは思いもしませんでした(笑)
あれは、約8年前、私が小学校五年生のときのことでした。
って!(笑)小説みたいになっちゃいそうだから少し端的にします(^O^)/
実は、わたし
この出来事とフィクションを混ぜて
小説、脚本を書きたいと思っています!
今から書くのはノンフィクションですが!笑
そう、それで当時の私の担任の先生は
すごくおもしろくて、優しいけど怒るときは起こるし、生徒からとても好かれている、人気者の男の先生でした。
またその先生は、総合の時間を使って
理科の授業や社会の授業をしてくれ、
実験なども見せてくれるとても完璧な先生でした。
特にわたしは、体育が苦手だったのですが
小学校ってやっぱり体育は実力重視で
私はいつも頑張っていても成績が上がりませんでした。
しかし、その先生は違いました。
努力をきちんと見てくれ、あゆみの成績表にも体育を諦めずに頑張っていたと書いてくれました。
私は本当に嬉しくて、
先生が大好きでした!
そのとき、わたしは
将来、こんな風に生徒から慕われて好かれる先生になりたいなと思いました。
おそらく、わたしはここで初めて
教師になりたいと思い始めたいわば原点となったわけです。
また、わたしの小学校では5、6年は基本持ち上がりだったので、すごく嬉しくて
私の学年は、3クラスあったのですが
自分は一番いい担任になって誇らしく思っていたのを覚えています。
また、先生は授業中などにも
ポロッと来年は…という話をして
生徒が、嬉しさ隠しに
えー先生がまた担任なのー(笑)
などという茶番が多々ありました。
最後の学級だよりにも、
これといって大切な言葉は書かれておらず
そのまま、春休みになりました。
ここからの出来事が、今も体に埋め込まれて離れないのです。
六年生初日、入学式準備をしに
六年生だけ登校しました。
教室に入ると見慣れたみんな
と見慣れない黒板の文字
その黒板の文字は紛れもなく、
隣のクラスの先生の字でした。
その日、教室にきて
わたしたちに指示を出したのは
隣のクラスの先生でした。
六年生初日にも関わらず、私の担任の先生は風を引いたのです。
しかし、ある同じクラスの生徒が
親が新聞の異動教諭の欄に先生の名前があったというのです。
わたしと私の友達は怒りました。なぜ、そういう縁起でもないことをいうのか。
それはたぶん、気づいていたけど嘘だと信じたかったからだと思います。
なのにとても、信憑性のあることを言うのです。
クラスは徐々に落ち着きが無くなってきました。私と私の友達は、教室から出て
入学式準備に来ていた知り合いの先生に聞いて回りました。
先生はなぜ今日来ていないのか。
ある先生は、風邪かな?といいました。
しかし、ある先生は
わからないというのです。
わからない…という言葉を聞いた時
わたしと私の友達は、泣き崩れました。
ああ、すべてが終わった
と思いました。
次の日案の定、クラス担任の発表で私のクラスだけ担任が変わりました。
その瞬間、一番いいと思っていたクラスは一番最悪な状況のクラスに下落したのです。
他のクラスは、2年間同じ先生なのに
私のクラスは‥
無理矢理異動させられたのです。
無理矢理異動させられたのならいいのです。
ちょうど同じ頃、母はPTAに入っていて、
最後の校長交えた飲み会に行きました。
そこで、
母は校長になんであんないい教師を飛ばしたんですかー?と冗談交じりに校長に言いました。
すると校長は、
いやいや!とんでもない!
わたしはむしろ、引き止めたんですよ!
持ち上がりだからせめてあと一年ここにいてくれって。なのに、先生の意志は固かった…
自分からどうしても異動したいと申し出てきたんだよ。理由はよくわからないのだが…
と言ったそうです。つまり、彼は
生徒を見捨てたのです。
あんなにいい先生だったのに…
最後は鬼でした。
校長はとてもいい人だったので、
おそらく、嘘は言っていないと思います。
ここで疑問が残ります。
彼はなぜ一年も待てずに異動しなくてはならなかったのか。
未だにもやもや感ずっと残っています。
手紙や色紙を送っても
一切返事は来ず
離任式には来たものの理由は語らす
また、私達は未熟だったため
理由を聞かず、ただ泣いていました。
今からすればあの時聞いておけばよかったと思うけど、たぶん聞いても答えてはくれなかったと思います。
理由として有力なのは、
保護者とのトラブルですが
私のクラスにはモンスターペアレンツはいませんでしたし、なによりほんとに好かれていました。
だから本当にわからない。
私達が嫌いだったのかもしれないけど、そしたらなぜ、来年も持つと言ったようなことをほのめかしたのですか。
私は未だにモヤモヤし、
真実を知りたいと思っています。
私は、現在の彼の勤務小学校を
ネットでこの前見つけました。
だから、きこうと思えば聞けるかもしれないけど、勇気がありません。会う踏ん切りもつきません。なにより彼はもしかしたら私を思い出したくないかもしれない。しかし、かと言って
彼が退職してしまったら、足取りが途絶えもう永遠に会えないかもしれない。
そんな中私は今立ち止まっています。
今、教職をとっている中で
教師になりたい理由を考えています。
最高な教師との出会いのか
最悪な教師との出会いなのか。
悩んでいて、やはり理由を聞かないと前には進めない気がするから苦しい。
そんな昔の出来事についてのお話でした!(笑)たくさん書いてしまいすみませんでした( ´•̥̥̥ω•̥̥̥` )
ちょっとがちな話でしたね(笑)
でも最後まで読んでくれたら嬉しいです。
りさっぺ
