週末、パレスチナの囚人の演劇を見た。

もう、意識の片隅に追いやられて、え、パレスチナの空爆も終わったし、静かになっているんじゃないの?という感覚。

ロシア、ウクライナの戦争も、まだ戦争してるんだっけ?という状態。

日本にいると、感覚的には遠い国の話、といった程度だ。

侵略、占領、奪取、逮捕、尋問、拘留、無意味な裁判。
命を落としたり、後遺症が残ったり、何十年も刑務所の中にいる人達もいる。

演劇という形で、そういう人々の苦しみ、悲しさ、無念さ、願い、叫びみたいなものを表現されていた。

パレスチナ国内で上演はできなかったらしく、海外で上演されている。

祖国に帰れば、生命を狙われたり、また刑務所に収監されたり、まず祖国の地を踏めないかもしれない中で、こういった人権運動をされていることに、魂の熱さを感じる。

文明は他人の痛みや苦しみを知ること。

そうだとしたら、これらは遠い国の出来事ではなくて、不倫や家庭内暴力や不登校、自殺やいじめ、ハラスメント、家庭でも学校でも会社でも日常的に起きている。

そういった腐った世界に屈することなく、命を守り、時には逃げ、乗り越えて、繋げていく営みはどこでも同じだ。彼らの状況は極限としても。

私の小さな家庭は、のたうち回った上に崩壊した。

この悲しみや苦しみは、誰かの助けになるときがあれば、と思う。

それを忘れない様に。