褒め殺しは子供を大人不信にする? | ぽてなまの~と 【ときどきADHD話】

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「なまいき」で「なまけもの」な「ぽてたろう」のノートです。
日常のあれこれや、その日考えたこと、そしてADHDや発達障害についての「あるある」などを書いてこうと思います。

 

褒め殺しは子供を

大人不信にする?

 

「こどものころ褒められてうれしかった思い出は?」というお題なのだが、正直に言って思い浮かばない。逆に褒められて「ダメだこりゃ」と思ったことはいっぱいある。

 

うちの父方の祖父は教育一筋。校長先生もやった人だ。まだ若いころ、祖父が勤めていた学校に新卒で赴任してきた「美人の女先生」が祖母だった。猛アタック開始。祖父は「結婚のお願い」のため、祖母の実家に11回も行って曾祖父を口説いたそうだ(祖母談w)。

 

この祖父母は戦前から教師をしていて、敗戦後、自分たちが教えてきたことを米国進駐軍に全否定される。生徒に教科書を墨で塗りつぶさせるという苦い経験をしていた。

 

「だから」というわけではないのかもしれないが、戦後は「新しい教育」を学び直し、私が生まれたころには、すっかり「子供は褒めて伸ばす」教の信者になっていた。孫はもれなく祖父母の過剰な「褒め殺し」にあっている。

 

たとえば、小学生のころ、朝自分で卵焼きを作っていると「すごい! ぽてちゃんは将来料理の先生になるかな~?」とくる。全てがこの調子で、フェルトで縫い目ガタガタな人形を作っても「天才! 将来は家庭科の先生だ!」。作文で賞をとれば「将来は芥川賞作家だ!」と、いちいち大げさ。

 

あげくの果てに、盲腸の手術をするときに「この子はバレエを習ってるんです。将来宝塚のスターになるかもしれないので、傷は困る。薬でなんとかならないですか?」と言い出し、ドクターに失笑されていた。

 

子供心にも「こんな大人の言うことを真に受けていたらダメ人間になる」「ロクな大人にはなれない」と、思っていた。

 

まぁ、私を含むADHD、発達障害の子供は「なぜできないの?」「どうしてやらないの?」と大人に責められ、自己評価が地を這うほど低いのが常だ。たまにしか会わないジジババがドン引きするほど「褒め倒してくれる」ぐらいでちょうどよかったのかもしれない。

 

↓褒めればいいってもんでもない

 

祖母が亡くなった後の遺品整理で、小さめの茶箱にギュウギュウ詰めにされた手紙やハガキが出てきた。全部私が出したものだった。

 

一番古いので、幼稚園のときに出した平仮名オンリーの年賀状。修学旅行や海外旅行先、仕事の出張先から出していた絵ハガキ数百枚。留学先から出したクリスマスカードなどもあった。

 

一度も返事が来たことはないし、それについて直接何かを言われたこともなかったので「完全な自己満足だからそれでいい」と思っていた。単純に、初めて行く街で郵便局を探してハガキを出すミッションが楽しかっただけだ。

 

ところが、叔母も叔父も口を揃えて言うのだ。祖母様は私からの絵ハガキが自慢で自慢で、いつも「ホレホレ見てごらん」と見せびらかしていた。「ぽては筆マメ。短い文章で街の様子を楽しく伝えてくる。文才がある!」と、褒めちぎっていたそうだ。

 

この話を聞いたのは「だいぶ大人になってから」だし、自分の耳で直接聞いたわけでもない。だが、「褒められてうれしかったこと」と言われればコレが一番かもしれない。

 

 

 

 

こどものころ褒められてうれしかった思い出は?

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