私が「自分のハッピー」にこだわる理由 | ぽてなまの~と 【ときどきADHD話】

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「なまいき」で「なまけもの」な「ぽてたろう」のノートです。
日常のあれこれや、その日考えたこと、そしてADHDや発達障害についての「あるある」などを書いてこうと思います。

 

私が「自分のハッピー」にこだわる理由

 

ここのところ、ADHDの私が「ハッピーじゃダメ?」みたいな話を書きつつ、どうもうまく伝わらない気がしているので、なんで「そこにこだわっているのか」を説明しちゃったほうが速いんじゃないかと。で、今日はね、本当は冷凍シュウマイの話を書こうと思ってたんだけど、こっちを先に出すことしたの。

 

私は、たぶん日本で「ADHDと診断された」最年長組の1人なんだよね。診断されたときは30代だったけど、女だからADHDは「PMSがつらいんだよ」とか「更年期はマジで覚悟がいるよ」とか、本に書いてあったことを自分も「ひぇぇ~」って言いながら体験してきた。このブログは、そういう体験をシェアしたいなと思って始めたものなの。

 

でもね、「大変ですよ~」「覚悟がいりますよ~」っていう文章ばっかり書いていても、読んでくれる人は誰もハッピーにならないことに気がついた。私の姿が「アラカンになったADHDの末路」にしか見えなくなっちゃうんだよね。

 

それじゃダメだと思った。若いADHD族には毒にしかならない。

 

私は自分が一番やりたかった仕事につくことができたし、その仕事で十分稼ぐこともできた。今は母の介護でほとんど隠居状態だけど、それはそれで毎日楽しくてハッピーなの。ADHD族の中には、「50になっても、60になっても、楽しいことを見つけてハッピーに暮らしている人もいるよ」ってことを伝えたい。これなんだ。

 

ADHDを含む発達障害についての研究は日進月歩で、子供の頃に発見された人はうんと早いうちから自分に適した教育が受けられる。

 

ADHDは「病気」じゃなくて「障害」だから、完全に治るってことはないけれど、上手に社会にアジャストできるような医薬品の開発や社会のシステム整備もどんどん進んでいる。

 

だから、私より若い世代のADHD族は、もっともっとハッピーに人生を楽しめるはずなんだ。でっかい希望をもってほしい。

 

私が実際に会って、友達になったり、ときどきメールをやりとりしているADHDの大人たちは、みんな個性的だけど、とっても魅力的なの。素敵な人がいっぱいいるのよ。それぞれに課題は抱えているかもしれないけど、みんなハッピーに生きている。

 

そういう姿を見てもらうのが、私たち年増ADHD族の、若い人たちへのギフトじゃないかと思ってる。

 

私は高校受験も大学受験も失敗して、あげく留学した先で大学院の受験にも失敗してる。最初に入った会社も辞職してるし。そう考えると挫折ばっかりの人生なんだ。

 

でもね、第一志望でなかった高校に行ったおかげで「一生の友達」と言える人たちと巡り会えた。大学もそう。私が「実はADHDなんだ」って言っても、「へぇ、それで?」って、誰もびくともしない。

 

カナダで大学院に受かっていたら、私は子供の頃から漠然と憧れていた「雑誌をつくる側の人間になる」という夢については忘れていたと思う。

 

最初に就職した会社では本当にダメ社員で、いっぱい迷惑をかけたけど、フリーランスになったら、みんな応援して、仕事をくれた。

 

一見挫折に見えても、それはもしかすると、「そっちじゃないよ。本来こっちに進むべきだよ」っていう、天からの道しるべになっていたのかもしれない。

 

花瓶にさした切り花みたいに、茎がポッキリ折れたら「それでお終い」じゃない。私たちって、挫折を経験すると、茎がもっと太くなって、もっと強く、大きな花を咲かせることができるんだと思う。

 

今、月1で通っている精神科のクリニックは、本来小児精神科で、待合室にいるのは、ほとんどが発達に問題のある子どもやその保護者。たまに「親子でADHD」ってことで、一緒に診察を受けている人もいるけど、大人の患者の中では私は最年長なんじゃないかと思う。

 

そんな待合室で私を見た子供たちが「将来はあんなになっちゃうのか」ってガッカリしないように、できるだけ「カッコいい、幸せそうなBBA」でいようと努力している。

 

↓今うちの北側の庭は水仙が花盛り