ADHDが人生を楽しむのはワガママなのか? | ぽてなまの~と 【ときどきADHD話】

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「なまいき」で「なまけもの」な「ぽてたろう」のノートです。
日常のあれこれや、その日考えたこと、そしてADHDや発達障害についての「あるある」などを書いてこうと思います。

 

ADHDが人生を楽しむのはワガママなのか?

 

先日ADHD生まれは貧乏くじなの?」という記事を書いて、あとで読み返したら、これって非ADHDの人から見たら「すごく傲慢」に見えるのかもしれないと心配になってきた。

 

正直なところ、ADHDは悪気はなくても周囲の人に迷惑をかけたり、ハラハラさせることがけっこう多い。いわゆる「カサンドラ問題」に似たようなもの。ADHDを含む発達障害(主にASD)をもつ人の家族や友人が振り回され、疲れ切ってしまう状態のことをカサンドラ症候群という。ひどいとストレスのあまり健康を害するところまでいくこともある。

 

私も人とは比べられないほど「ほげぇぇ!」な失敗を繰り返し、いろいろな人に叱られたり、尻ぬぐいしてもらったり、励まされたりと、多くの人の「助けを借りて」生きてきた。そういう人間が「人生は面白い」とか「楽しんだもの勝ち」とか言うのは不遜なのだろうか? 反省や謙虚さが足りないのだろうか?

 

私があの記事を書いたきっかけは、ある子どもがADHDだと診断され、その子が「受け止めきれないようだ」と聞いたことだった。その子はあの記事を直接読む年齢ではないのだが、同じような気持ちでいる人に「ADHDだと診断されたって、それで人生終わったわけじゃないのよ」「むしろ、新しい冒険のスタートラインなのよ」と、言いたかっただけ。

 

障害者はいつも自分の足りない部分を意識していなくちゃならなくて、人生を楽しんでいるのはおかしい? "マトモ"になるまで、恋に夢中になっちゃダメ? 危険があるスポーツは試しちゃいけない?

 

私は「そんなこと言う人、あなたの人生ではクソの役にも立たないから、さっさと切り捨てろ」「もしそれが親なら、とっとと独立して自由になれ」って思う。極端かな?

 

私の人生は私が主役だ。

私の人生は私が楽しむためにある。

そこは譲っちゃいけないところでしょ?

 

ただし、忘れちゃいけないのは「ごめんなさい」「ありがとう」「おねがいします」の気持ちだ。迷惑をかけたらごめんなさい。助けてもらったらありがとう。自分が助けてほしいときは「お願いします」がちゃんと言えること。

 

何度も同じことで怒らせない。謝罪や感謝の気持ちは軽い言葉だけでなく「相手にちゃんと届くこと」が前提だ。

 

「私はADHDだからしょうがない」という言い訳や「障害があるんだから配慮してもらって当然」といった甘えは、世の中的に通用しない。

 

そこはきっちり胸に刻んで、さぁ楽しもう。