パンダといえばコレだった青春 | ぽてなまの~と 【ときどきADHD話】

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「なまいき」で「なまけもの」な「ぽてたろう」のノートです。
日常のあれこれや、その日考えたこと、そしてADHDや発達障害についての「あるある」などを書いてこうと思います。

パンダといえば「an・an」だった

雑誌まみれの青春

 

今、上野にいるパンダはシャンシャンだっけ? 私たちの世代にとって、パンダは永遠にランランとカンカンなのかもしれない。もっといえば、私にとってパンダとは「an・an」だ。

 

この雑誌、黒柳徹子さんと初代編集長が英国のパンダの話をしていて、その名「アンアン」から命名された話は有名だ。パンダのマークはだんだん小さくなった気がするが、読者投稿するともらえるTシャツとか小物とかには「an・an」のロゴとパンダのマークが必ず入っていた。

 

 

小学校、中学、高校と、とにかく雑誌が好きで、お小遣いのほとんどを雑誌にツッコんでいた。足りない分は父からカツアゲしたりして。高校の頃、「an・an」の姉妹誌「Olive」が出て、そっちに夢中になって、「MC sisters」「Popeye」、「ぴあ」、読むものがなくなったら「週刊文春」とか「FOCUS」とかのオッサン雑誌まで、白アリが家を喰い倒す勢いで読んでいた。

 

高校卒業後、あまり喋った記憶のない同級生に

「ぽてさんって、いつも雑誌を読んでいたよね」

「うんうん、言えば何でも持っていて、貸してくれたよね」

と言われて「他人から見たらそうだったのか(しかも複数証言かよ)?」と、驚いたことがある。私としては、クラスメイトとワチャワチャしたり、早弁したり、サボって肉まん買いに行ってたりと、けっこういろいろやっていたつもりなのだが、「本の虫」というより「雑誌の虫」のイメージらしい。

 

読むだけでなく、読者ページへの投稿もしていた。ラジオでいう「ハガキ職人」だ。これがけっこう稼ぎが良く、オリジナルグッズとか映画やお芝居のタダ券、図書カードとかをせしめていた。

 

プロのライターになって、高校の頃読んでいた雑誌で最初に仕事をもらえたのは「ぴあ」だった。それから「Hanako」。残念ながら「an・an」にはご縁がなかったのだが、今もときどき特集買いして「やっぱ、いいなぁ、書きたかったなぁ」なんて思っている。

 

↓an・anは今年50周年

 

 

今日はパンダ発見の日

パンダ、見たことある?

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