子供部屋おばさん | ぽてなまの~と 【ときどきADHD話】

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「なまいき」で「なまけもの」な「ぽてたろう」のノートです。
日常のあれこれや、その日考えたこと、そしてADHDや発達障害についての「あるある」などを書いてこうと思います。

 

言われてみれば、私もそうだ

「子供部屋おばさん」とは?

 

先週の土曜日にアベマTVで放送した番組で「子供部屋おばさん」を特集したらしい。番宣を見ただけで「それ、私じゃん!」と思ったのだが、うっかり本放送を見逃してしまった。YOUTUBEでは最初の15分ぐらいしか公開していない。まあ、中学生まで育った「子供部屋」は改築したので、全くの子供部屋というわけでもないのだが、親に与えられた部屋にベッドとデスクがあり、そこで寝起きして仕事もしていることに違いはない。

 

「子供部屋おばさん」とは、もともとネット発信の言葉「子供部屋おじさん」からの派生語らしい。どちらも、「いい大人」になっても実家で暮らし続ける人のことを指す。世間のイメージでは「子供部屋おじさん」は、主に、婚期を逃し、家事などの面倒がないから実家を出ない(出られない)人。踏み込んで、働かずに経済的に親に頼るニートを指すこともあるらしい。

 

 

↓いまどきの子ども部屋

 

一方、「子供部屋おばさん」は、経済的に自立できないため実家を出られないという印象が強いようだ。「実家だと家賃も食費も入れなくていいんでしょ?」みたいな。 アメバTVのゲストで来ていた「子供部屋おばさん」は3人のうち2人が離婚経験者で、3人とも「できればひとり暮らしをしたい」という。

 

3人のうち1人の女性(会社員兼ダンサー)が、私の境遇に似ていると思った。留学経験があり、帰国後実家に戻るが20代で独り暮らしのタイミングを逃す。経済的には自立できるが、今度は親が高齢になってくる。それでも家では親が自分のことを、たぶん一生「子供」とみなしている。

 

私も実家暮らしだが、世帯主は私で母は扶養家族だ。家の固定資産税も火災保険も地震保険も私が出している。要は少子化と親の長寿化、子ども世代の晩婚(無婚)化で、家族の「最終形」が多様化しているという話なのではないだろうか?

 

実は私の「実家にいる」状況は、北米の友達には説明しても理解してもらいにくい。彼らは大学生になったら家を出るのがあたりまえで、日本みたいに親が大学入学以降の学費や生活費の面倒をみてくれることはない。それが1つの線引きとなって、親の老後資金は「親の自己責任」で、自分の生活を充実させるのが優先だと思っている。親が年をとっても同居して「世話をすべき」という意識はないし、よほど困窮していなければ経済的援助もしない。

 

日本にはそういう「巣立ち」的線引きがない分、親の老後資金を誰が工面するかは曖昧になる。うちは一人っ子なのでサッパリしたものだが、兄弟がいる人は「どっちが」「どのくらい」など、モメそうな問題ではある。

 

私と母はそれぞれタイプの違うADHDどうしで、いわゆる「共依存」状態。仲が良いから一緒に生活していてハッピーだ。母も80代後半に入るので、こういう暮らし方があとどのくらい続けられるかわからない。今のうちに楽しんでおこうと思っている。母が死んだら、私はそのまま「子供部屋おばあさん」になるんだろうな。

 

 

↓子ども部屋は小宇宙