「絶対ADHDだ。診断を受けよう」と思ったいきさつ | ぽてなまの~と 【ときどきADHD話】

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「なまいき」で「なまけもの」な「ぽてたろう」のノートです。
日常のあれこれや、その日考えたこと、そしてADHDや発達障害についての「あるある」などを書いてこうと思います。

「絶対ADHDだ。診断を受けよう」と

思ったいきさつ

 

ぽてたろうが子供の頃、日本には「発達障害」の概念はなく、学校、医療、両親など、誰も気がつかなかった。「どこかが変」なことはわかっていたが、打つ手がなかった。

 

1997年(33歳)、ある雑誌の依頼で新刊書籍の著者インタビューを担当することに。そこで資料として渡されたのが、ADHDの専門医、司馬理英子先生の『のび太・ジャイアン症候群』(主婦の友社)だった。ADHDの「ボーッとしている」タイプが「のび太」、多動が目立つタイプを「ジャイアン」に例えて解説した本で、ページをめくるたびに「私はのび太じゃ~ん」と思った。司馬先生が子どもの治療を中心にされていることから、「確かに私はのび太だけど、もう大人になっちゃったよ。惜しかったなぁ」と、あきらめていた。

 

 

2000年(36歳)、サリ・ソルデン(米)の『片づけられない女たち』(WAVE出版)が出版され、精神分野の書籍としては久々の大ヒットに。その中に書かれている「大人のADHDの女性」たちは、まさに「今の私」の分身だった。「これはサリ・ソルデンに会わなければ」と、サリのサイト経由でメールを送り、取材を申し込む(掲載雑誌は決まってないので、自腹覚悟)。「来週は無理だけど、来月なら米国に行けます」と書いたところ、サリに大ウケし「来月なら私が東京に行くので、東京で会いましょう」ということに。サリの講演会やセミナーは既に満席だったが、主催者に交渉して無理やり潜り込む。記事は、健康雑誌の編集長にお願いして白黒2ページを確保した。

 

 

「東京で会いましょう」とは言ったものの、サリ・ソルデンのスケジュールは非常にタイトだった。結局「ホテルで朝食を食べながら」ということになったのだが、前日に「どうしてもスケジュールを調整できないので、同席者を認めてほしい。話したいことは同じだから」というメールが来た。同席者は女医さんだという。調べたら、当時「初診の予約待ち半年」という、成人ADHDの数少ない専門医のK先生だった。「自分の記事が出たら半年が1年になるかも(←そんな影響力はない)」と考えて、その日のうちに初診の申し込みを済ませた。

 

ADHDの「H」は、ハイパーアクティブ(テンション高い?)のHだ。翌日、ホテルでのインタビューで、「私は多動(H)がないタイプのADDだと思うのよ」と言ったら、サリとK先生が腹を抱えて笑い出した。「ぽてさん、『来週は無理だけど来月なら米国に行けるから会って』って、典型的なAD(H)Dだから。教室の中をウロウロはしなかったかもしれないけど、頭の中はいつもグルングルン大回転しているんでしょ?」

「細かい検査するまでもないと思うけど、一応やっとく? いつ来る?」

 

という感じで、最初の主治医が決まった。

ところで、K先生の初診は、半年もしないうちに「2年待ち」、一度は「4年待ち」にまでなった。予約入れておいて本当によかった。