母がほとんど食べなくなったと施設から言われた時は既に重度のアルツハイマー型認知症で発語はほぼ無く話しかけてもほとんど反応が無い状態だった。
家族で相談し点滴も何もせず看取ってもらうことにした。
母は元気だった頃に『尊厳死を望みます』という書類を自分で用意していた。法的な効力は無いけど意志は確認できたので迷いは無かった。
コロナ禍になって以降初めて直接の面会が許可されて、ほとんど眠っていたけどゆっくり顔を見たり触れたりできた。
数日か数週間かと覚悟していたが介護士さんたちが少しずつでも根気よく飲み物など摂らせてくれたようで、約3ヶ月後の昨年夏に穏やかに最期を迎えた。
その後、一人暮らししていた父が骨折して入院し、歩行器で歩けるまでに回復したが、施設の空きを待つための転院先でコロナにかかったり持病が悪化したりであれよあれよと寝たきりに近い状態になった。
もともと減っていた食事量がほとんど食べない状態になりどんどん痩せた。
食べさせようとすると怒るという。
医師から中心静脈栄養の提案があり、父は認知症ではないので医師が本人に説明したところ受けたいと言ったそうだ。
もう生きているのも嫌になって食事を拒否しているのかと思っていたが、そうでもなかったのか。
同席していないのでどんな説明だったのか気になったが、そう言われて家族が拒否はできない。
中心静脈栄養にしても食べたいものがあれば食べていいことになっていたが結局はほとんど食べずに食事は止められ、差し入れたプリンなどもそのまんま。
面会が制限されているので家族が食べさせることもできない。
昼も夜もウトウトしていることが多かったようだ。
たまに熱を出していよいよかと思えば持ち直すを繰り返し、その度に痩せ細って行った。栄養を入れても身体に取り込むことができないらしい。
そして5ヶ月ほどで旅立った。
前日に会ったとき苦しそうで何か言いたそうなのに言葉にならずわかってあげられなくて辛かった。
母のように何も処置をしなければもっと早く穏やかに逝けたのかもしれない。
認知症でないとは言っても自分で調べたりはできないし、デメリットまできちんと理解して判断できたのかどうか怪しいと思っている。
看取ってくれた病院にはもちろんお世話になって感謝しているけど、すぐ施設に入ることができていたら、コロナにならなかったら、とつい考えてしまう。
後から気づいたが、もしかすると食事が不味いと言っていたのはコロナの後遺症で味覚が変になっていたのかも?
タイミングや運が悪かったのも寿命のうちと考えるしかないのかな。
運が悪いならいっそ骨折した時に打ちどころが悪くてそのまま亡くなっていた方が本人としてはラクだったかもね。
年齢的には充分に長生きだったけど悔いの残る最期だった。
胃ろうとか中心静脈栄養が全て悪とは思わない。
パーキンソン病は嚥下機能にも影響するから、うまく飲み込めなくなってきたら口以外から栄養を入れることで元気な状態を保てるかもしれない。
ひとりひとり、今何が最善かを考えるしかない。
苦しいのや痛いのはとにかくイヤだから、たとえ死期を早めても苦痛はできるだけ取り除いてほしい。
それだけは子供達に伝えておこう。