こちらは要介護度5の実母の病気や入院生活、自宅介護などについてつづっていたブログです。

母は2021年10月に心不全で亡くなりましたが、現在もときどき母の介護の振り返り記事等を載せております。

 

母、2017年の初夏に脳出血を発症。

 ★脳出血の話は急性期病院 リハビリ病院

 

そして2019年の晩秋に脳梗塞を発症

 ★脳梗塞の話は急性期病院 リハビリ病院

 

 

 

先日、久しぶりに千葉県の富津岬に立ち寄ってみましたニコ

 

 

富津岬は東京湾に突き出た砂嘴の岬です。

南房総国定公園・千葉県立富津公園内にあります。

 

NHK『ブラタモリ』の東京湾の回で紹介されていたのでご存じの方も多いかもしれません。

 

わたしが子どもの頃は、干潮になると岬の先端から伸びた砂州がその先の第一海堡(明治以降に整備された人口の要塞)近くまで続いていたはずなのですが……

 

 

展望塔から見た岬の先端はかなり崩れてしまっていました。

 

 

元々設置された堤防等の影響で海流が変化し、少しずつ崩れて湾曲してきてはいたのですが、大きく崩れたのは、東日本大震災の時に発生した津波が原因だそうです。

 

 

 

 

この日はとても晴れていて、きれいな富士山を眺めることができましたニコ

 

写真だと小さく写りますが、肉眼でみるとなかなかの大きさです

 

 

 

キラキラキラキラ

 

 

 

 

東日本大震災といえば、もうひとつ。

 

 

わたしの従兄(70代)は脊髄小脳変性症なのですが、それがわかったきっかけが東日本大震災でした。

 

脊髄小脳変性症は、歩行時にふらついたり手が震えたり等の失調があらわれる神経の病気

 

 

 

当時、従兄が会津近辺に建てた家に、いわきから父方の親戚が避難してきていました。

 

その頃の従兄は時々転倒するなどの症状が出ていましたが、病気によるものだとは全く思ってもいなかったそうです。

 

 

ふらつきながら歩く従兄を見て、親戚が「親父にそっくりな歩き方だね」と気がつきました。

 

 

 

従兄の父親は59歳で病死していますが、親戚によると亡くなる何年も前から従兄と同じような症状が見られていたとのこと。

 

 

どうやら父方の方では、こうした症状があらわれる人がいたため(特に男子に)親戚もすぐに気がついたようです。

 

 

 

 

 

震災から13年と聞くと、従兄の病気が判明してからも同じだけの年月が経ったのだなあと思います。

 

従兄もじきに杖を使うようになり、それが2本使いとなり。

2年ぶりに会った母の葬儀のときには歩行器を使っていました。

最近は車いすと併用です。

母の三回忌のときは殆ど車いすでした

 

 

 

 

胸の内ではいろいろ不安もあるのだと思いますが、会えばいつも明るく話しかけてくれるムードメーカーの従兄。

 

 

なかなか集まる機会も少なくなる一方ですが、また顔を合わせたときには、あの少し訛りの混じった大声を聞かせてほしいものですニコ

 

 

 

 

 

 

 

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