こちらは要介護度5の実母の病気や入院生活、自宅介護などについてつづっていたブログです。
母は2021年10月に心不全で亡くなりましたが、現在もときどき母の介護の振り返り記事等を載せております。
先月下旬、千葉県北東部に出かけた際、銚子・旭のあたりに立ち寄りました。
銚子市で昼食をとって。
あ。ちらし寿司の桶の向きが違ってら
旭市の鎌数伊勢大神宮にお参りして、限定の切り絵御朱印をいただいてきました
ご丁寧に台紙にのせフィルムシートに入れてありました
クルマでの移動中、旭市周辺の道沿いに立つ立て看板に目をやると、津波避難訓練実施の案内でした。
千葉県旭市では東日本大震災発災時、最大7.6メートルの津波が押し寄せました。
震災関連死を含めて14人が亡くなり、現在でも2人が行方不明のままだそうです。
NHK首都圏ナビ ちばWEB特集
「東日本大震災から13年 千葉県の追悼や備えの動きは」参考
東日本大震災が起こった日、わたしは家で両親といっしょに居間にいて、テレビを見ていました。
ちょうど無職だった
渡瀬恒彦さん主演の『おみやさん』の再放送中……
いよいよ犯人が判明!というタイミングで大きな揺れがありました。
その当時住んでいたアパートは地盤が良かったためか、テレビがグラグラ揺れたものの、他は軽い物が倒れた程度でした。
すぐにテレビが報道に切り替わり、チャンネルをNHKに替え……そこからわたしたちはずっとテレビの前から離れず、釘付けになりました。
津波の映像や、画面上部にあらわれる衝撃的なテロップの内容を、まさに固唾を飲んで見つめていましたっけ。
あの時、すでに大人だったわたしたちには、震災の記憶は深く強烈に刻まれ……
世間では「風化」という言葉も使われていますが、未だにふとした時に思い出されます。
特に、現在千葉県東方沖は群発地震が続いていますし。
おそらくわたしたちがジジババになる頃も廃炉が果たされていないであろう福島原子力発電所に関しても。
というかTOKIOのメンバーを見る度に思い出します
ああきっと、彼らがジイさんになっても浪江町のダッシュ村を再生することはかなわないのだろうなあと
といいつつ。
自身の災害対策はまだまだ完璧にほど遠く。
もっと真剣みをもって動かないといけませんね
防災リュックの中には夫とわたしそれぞれ20回分の非常用トイレしか備蓄していなかったので、今月に入ってとりあえず「BOS非常用トイレセット 」50回分を注文しました。
便器を覆うベースとなる大きなビニール袋が手に入れば、あとの追加分は市販のゴミ袋と凝固剤を買えばいいかな、と思いまして。
防災リュックにも追加用のゴミ袋&凝固剤を備えてあったけど、なにせ数が全然足りなかった
ニオイについては母のおむつ処理用に買ってストックしてあったBOSの袋(LLサイズ)を使えばいいかな。
追加分のゴミ袋の大きさは45L(65×80cm)。
ちなみにBOS非常用トイレの袋は特別サイズの70×70cm
では、どのくらいの厚みがあればいいのかしら
調べてみると、大体ふつうのサニタリー用ゴミ袋の厚さは0.01mm~くらい。
少し厚めで0.02mm。
非常用トイレに梱包されているゴミ袋の中には0.3mmと厚めのものもありました。
まあ、中に入れる💩はやわらかいし尖っているわけではないので、やや厚手くらいのものでいいかなと思います。
あまり厚いと結びにくくなって、すき間からニオイが漏れ出やすくなるようです。
赤ちゃんの小さいおむつを密閉するならこういうのもアリかもしれないけど……
あとは、500ml×24本の保存水をこれから注文する予定。
それとスマホ充電用として乾電池式充電器を購入しました。
さっきもまた千葉東方沖震源の地震がありましたし。
明日はおばとウォーキングの予定ですが、太平洋側とか崩れやすい道や場所に行かないようにした方がいいかもしれないですね
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