こんにちは。

クマ犬です。

 

今日は4/1です。エープリルフールとか四月朔日(わたぬき)とか言いますね。

 

これは旧暦の4/1あたり、いまだと5月くらいですね。

 

冬用の服である暖かい綿入れから綿を抜いた袷にしたところからきています。

 

さて、今日のお題、熟すです。

 

これは本を読む人へ、何のために本を読むかと思う方には、突拍子もないことのように聞こえるかもしれませんが、私が読書と邂逅するきっかけになった言葉があります。

 

名言の叔父さん

「俺はすべてを知ってから死にたいんだ」

これを聞いて鳥肌がたった。

 

こんなことを言ってみたい。いって遜色無いレベルまで自分の能力を高めたいと思ったことがあります。

 

私と叔父さんの対話はここから始まったと言っても過言ではない。

 

しかし、読んでいる本は到底当時の私では理解し得るものではない。

 

理解の範疇をこえたものばかり。中でも中沢新一のフィロソフィア・ヤポニカはとても難解です。頭で理解するじゃない。肚で理解することである。

 

わからないから挫折したことはある。けども立ち止まる訳にもいかない、そういう垂直方向に抗う屹立とした思いだけは負けなかった。

 

叔父さんは別に読めとも言わないし、読んだら面白いぞ〜くらいにしか言ってこない。

 

そういう微妙なラインをせめるのがうまいのかもしれない。

 

叔父さんが買って読め言ったのは、カスタネダシリーズである。

 

吉本ばななさんや細野晴臣さんなど有名な著名人が勧めたこの本です。

 

当時、読解力が無いもクソもありゃしゃない。

 

師匠がやれと言ったらやるだけである。

 

死にものぐるいで読むです。

 

だけど分からない。。。

 

なんでこんなものを読むのかと苦しんだ記憶はある。

 

最後の無限の本質に辿り着いたときには、叔父さんは、特にどうだったとも聞いてこないのです。

 

呆気に取られるんだけど、それでもこの本を読み終わったときに、他の本が容易に読めるようになってきたのです。

 

カスタネダの本は入り口に過ぎず、もっと見識を広めたいという知識は深まっていくばかり、どちらかというと苦手としていた活字本への挑戦は始まった。

 

けど、答えのある本ばかりを当初は買いまくっていたので、叔父さんはため息をついていたことを思い出します。

 

何でも良いけども、答えのある本を読んで知識をひけらかすのはなんの意味もありません。

 

しかし、素地がそのようにしか出来ていないので、まずは読むから何でしょうね。

 

よく恩着せがましいと謂われてはしょんぼりと家に帰ったことを思い出します。

 

けど、そういう経験が少なからずないと、自分とは何かという問いも出てこないとも言えます。

 

忠義を尽くすことで、その人の真似をする。

 

そこから、師匠とは別の形態へ進化することもある。

 

昔はよく叔父さんの取り巻きでいた親戚からはコピーだと言われてました。

 

はじめはそんな滅相もないとも思いつつ、何処か傲っている自分がいたと思います。

 

程なくして、叔父さんは自分の道を見つけろ!!お前にはお前の道がある!!といいました。

 

最後は自分を信じた道を進めということ。

 

そのためには圧倒的に言葉にふれないといけない。

 

圧倒的に打ちのめされないといけない。

 

叩き潰されても這い上がってる精神もいる。

 

叔父さんは地獄の櫓と言っていたのを思い出します。

 

人生は思い出づくり。

 

さあ、良い読書ライフをお過し下さい。

最後までご覧いただきありがとうございます。

 

それではまた👋