『三歩下がって師の影踏まず』ーうちの師弟の場合は和尚さんが三歩下がって、私の後ろを歩いていた。「和尚さん、みっともないから私の前を歩いてくださいよ。」
すると和尚さんは、「いやー、あんたは背が高くて後ろから見ると様子がいいんで、これが私の弟子かと思うと嬉しくて嬉しくて。」だから、誤解される。
電車に乗っても、他人はまさか百近い年寄りだとは思わないけれど、どう見ても年寄りには間違いない。だから、直ぐ席を譲ってくれる。そんな時、和尚さんは「私はそんなに年寄りに見えますか?」と耳打ちする。「和尚さん、年寄りっていうのはね、60か70、少なくとも80代を言うんです。和尚さんは年寄りじゃありません。化け物です。」と言ってやったら、「あんた、酷いことを言う、オッホッホ。」と喜んでいた。
岡山の烏城の天守閣に行った時、65歳以上だとエレベーターが使えるらしいんだけれど、和尚さんはこの時、身分証明書を持っていなくて、係の人は頑として階段で登れと言う。(これがどう見たら65歳以下に見えるの?)と私は抗議したが、和尚さんはまあいいじゃないですか、そんなに若く見てもらえるなんて、とルンルンでさっさと昇って行った。私はその急な階段をゼイゼイ言いながら、ついていくのが精いっぱいだったー。
そんな和尚さんは、亡くなる一か月前に私に愛の告白をした。
岡山で私は子供を産んで、その子が3歳になった祝いの席だった。両親もいる。「私は弘衆さんが来てくれて、やっと自分の魂のかけらに出会った気がしたんですよ。60歳以上も歳は離れていますが、私の弘衆さんへの思いは断ち切りがたく、もうすぐ私はあの世に行きますが、最後にこの気持ちを伝えて死にたかったー。」と言い出すものだから、両親の顔は鬼のようになり、「まあ、孫ほどに年の離れている弟子に恋するなんて汚らわしい。」「どうせなら、あの世に行くまで胸に納めて死んでほしかったー。」
私は慌てて、和尚さんを部屋に押し込めて、しばらく謹慎を命じた。
和尚さんは寺に押しかけて来た未亡人を『据え膳食わぬは男の恥』として関係を持ったことはあるらしいが、元来は男色好みである。それも少年愛。別に性的にどうしようと言うのではない。純粋なプラトニックラブである。
私が岡山にいた時、友人が「和尚さんの具合が悪い。どうも結核のようだ。」と知らせてくれて、直ぐに病院に連れて行ったが、やはり結核と判明し、3か月の入院となったことがある。私は病院嫌いな和尚さんが入院なんて嫌がるだろうなと、恐る恐る聞いてみたら『いいですよ!』と、二つ返事だった。そこで主治医を見て(ああ、なるほどね。)和尚さんの好みだった。爽やかで、少年のように性を感じさせない中性的な魅力。
私は子供の保育園のお迎えに聞くとき、園児に「ゆうくんのパパはね、ホントはママなんだって、うちのママがいっていた。」なんて言われることは毎度の事だった。
能の『恋の重荷』に、年の離れた若い女性に恋をした老人が女性の虐めにより死んで亡霊となって、思いのたけを述べるが、女性が反省したら「私はあなたを生涯守護霊となって守ります。」と、成仏する話があるが。
「百にもなる人から純粋な恋心を打ち明けられるなんて、素敵じゃない!」と友人から言われて、私もちょっぴり反省した。だから、和尚さんの謹慎を解除してやった。そして、その一か月後に和尚さんは上機嫌で風呂で革命歌を歌いながら、息を引き取った。
今でも、私は住職になったことがないので身寄りのない人の葬式には、故人を和尚さんの弟子として戒名を授ける。和尚さんは戒名をつける時には時宗はみんな〇阿と、阿弥陀さんにしてしまうので、院号つけると重たくて三途の川を渡れねえぞ、と檀家に言っていたから、その教えを守って院号は勿論、おおよそ仏教とは無縁の本人の特徴を漢字にする。そうやって、100人近くは戒名を付けた。そうしたら、和尚さんがある時、化けて出てきて「ちょいと弘衆さん、せっかくこっちでのんびりと安泰に暮らしているのに、次から次へとあたしの弟子をこさえてくれて、休んでもいられない。どうしてくれるんですか?」と恨んでいた。その時、和尚さんは宇宙の星々の間を泳いでいた。だって、和尚さんの法名は恒阿良幻だもの。
今でも、私は和尚さんの霊を時々顎で使う。一度、凍った冬の山道をタイヤが横滑り始めてあわや!という時に私は思わず、「和尚。止めろ!」と叫んだ。すると、殆どタイヤが崖にせり出したところで止まったことがある。ゆっくりとバックして事なきを得たが。霊力のある人だったら、白い総髪で白の着流しの老人が必死になって車を止めている姿を見ただろうな。私は和尚さんを魂のかけらとは思わないけれど、私の守護霊の一人であることは確実にわかる。
完
