師僧高田良幻宗教者としてとか、
時宗本山にいた時に日中戦争が始まりました。本山で反戦を訴える演説を行ったために追放され、さらに徴兵される友人たちに戦場において人を傷つけないでくれと手紙を
師僧は決して、天皇制を批判していたわけではありません。
宗教界は神社神道だけではなく、
私が赴任した時に、寺には底が抜けるほどの蔵書があるのに、1冊の仏教書もないので理由を聞くと「私は仏教が嫌いです。」と初対面で言ってのけた高田老師。『
大戦が勃発する頃には、常に特高が纏わりついていてその特高もやがて徴兵され、泣いて別れを惜しんでいたとか…。
高田老師の手紙を受けて兵舎で縊死した人の写真がありました。
高田良幻師は若狭の寺を追われ、私の故郷岡山で最晩年を過ごし、その日趣味の散歩を片道13Km踏破し、一番風呂に入ってロシア語の革命歌を歌っていて、歌声が途絶えていたと思ったら湯船に沈んでいて…。
墓も葬式も要らないと言っていたので、大学に献体しました。1年後、解剖所見を説明してもらったらなんと、癌が全身に広がっていたそうです。人生一度も医者に診てもらったことがないので、少々体がだるいとかあったって、百まで生きてたらこんなもんでしょー、程度にしか思っていなかったでしょう。ただ、とにかく痛いのが我慢できない人だから、人が苦しい思い、痛い思いをすることさえ見過ごすできなかったと思います。高田良幻の反戦の原点はそこにあるのです。
