戦前に逆戻りしそうな雰囲気を感じて知ってもらいたい怪物和尚のこと | ぽたらか

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無政府主義者&時宗僧侶・平成5年満99歳で大往生

師僧高田良幻宗教者としてとか、仏教者として反戦活動をしたわけではなく、他人を差別したり、暴力やましてや殺すという事が、ただ単に嫌いなだけだったんだろうと思います。

時宗本山にいた時に日中戦争が始まりました。本山で反戦を訴える演説を行ったために追放され、さらに徴兵される友人たちに戦場において人を傷つけないでくれと手紙を出しました。預かりの身となった甲府の寺にいた時に甲府連隊に反戦ビラを配ろうとして、捕まりました。出版法違反で半年、不敬罪で3年、計3年半の刑期で巣鴨刑務所に服役したのです。その不敬罪とは友人に充てた手紙が、その人が兵舎で縊死したため、戻ってきていて官憲のがさ入れでそれが見つかり、その内容が天皇を批判するものだったのでした。

師僧は決して、天皇制を批判していたわけではありません。軍部の暴走を食い止められることができたのは唯一、昭和天皇だけだったからだと後に話してくれました。日本は神国ではない、天皇は万世一系ではない、明治の終わりまで庶民はみなそう思っていまたそうです。

宗教界は神社神道だけではなく、仏教各宗派をあげて戦争に協力していきました。そして、今日未だにその反省もなく仏教系全宗派残らず、日本会議に加盟しています。

私が赴任した時に、寺には底が抜けるほどの蔵書があるのに、1冊の仏教書もないので理由を聞くと「私は仏教が嫌いです。」と初対面で言ってのけた高田老師。『信不信を問わず、浄不浄を嫌わず』この熊野信仰が土台にある一遍上人だけは違います。一遍の弁証法はマルクスを超えるとも。

大戦が勃発する頃には、常に特高が纏わりついていてその特高もやがて徴兵され、泣いて別れを惜しんでいたとか…。

高田老師の手紙を受けて兵舎で縊死した人の写真がありました。剃髪した爽やかな青年僧の姿が、そしてその裏には『高田さんさようなら』と書いてありました。仏教系各本山が戦争に協力していく中で、〈不殺生戒〉を守ろうとして苦悶した僧侶はたくさんいたのではないでしょうか。

高田良幻師は若狭の寺を追われ、私の故郷岡山で最晩年を過ごし、その日趣味の散歩を片道13Km踏破し、一番風呂に入ってロシア語の革命歌を歌っていて、歌声が途絶えていたと思ったら湯船に沈んでいて…。

墓も葬式も要らないと言っていたので、大学に献体しました。1年後、解剖所見を説明してもらったらなんと、癌が全身に広がっていたそうです。人生一度も医者に診てもらったことがないので、少々体がだるいとかあったって、百まで生きてたらこんなもんでしょー、程度にしか思っていなかったでしょう。ただ、とにかく痛いのが我慢できない人だから、人が苦しい思い、痛い思いをすることさえ見過ごすできなかったと思います。高田良幻の反戦の原点はそこにあるのです。