屁をひって面白くもなし独り者 | ぽたらか

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ぽたらかは20年の歴史を閉じます

こんな川柳死語だよなあ。「誰だー?臭いぞー。」とからかう仲間がいて、笑いが起きて。そんなことも幸せに感じる。

 

仲間と離れたくないと最後まで残った人を引き連れて、シェアハウスに越してきて1年。すでにアパートに移った人も花見に呼んだら、「また寂しくなったら、遊びにいっていいか?」って。飽きるほど一人でいた半生だったろうにー。

 

こういう人たちは、施設や宿泊所よりプライバシーが守れるアパートの方がいいと行政は決めてかかっているようだけれど。心配したりされたりする仲間がいることは、ちょっぴり幸せなものらしい。それでも自己決定権が大事なので、本当に私たちと一緒に行きたいのか確かめに来たCWに満面の笑みで首に手を当てる仕草をした人がいた。「仲間から私をはずそうとするなら、私は首を切る。」満面の笑みだから、余計ぞっとした。

 

山ちゃんの歩き方は独特だ。ピョンピョンと飛ぶように歩く。こういう歩き方をする人は過去に何人もいた。発達障害なのに閉鎖病棟に30年もいて、70過ぎてやっと自由の身になってうちに来たムラちゃん。山ちゃんと同じように家族のことは絶対にしゃべらない。故郷や家族には嫌な思い出しかなかったのだろう。

 

ムラちゃんはピョコタンピョコタン歩きながら、散歩をする。車の往来が激しい交差点に行こうとすると「そっちに行かない。土手に行きなさい。」と後を追いかけていく。するとある日、追いかけていく私を待って、振り向いて一生懸命、口角を上げようとする。笑顔をつくろうとしているのだ。山ちゃんも知的発達障害であることは、家族からも理解がなかった時代、普通の歩き方、笑顔の作り方なんて教えられなくてもわかるだろうと考える人は、理解がない。子供のころから、怒った顔しか見せない家族に囲まれていれば、笑顔も学ぶことができないのかもしれない。

 

ムラちゃんは始めての入院で暴れて困るので、引き取って欲しいと連絡があり、迎えに行く用意をしていたら、その晩急死した。病室でムラちゃんは自分でも突然の死で驚いたのか、びっくりした顔のまま、固まっていた。そんなムラちゃんに「さあ帰るよ。ぽたらかに一緒に帰ろう。」と声をかけてストレッチャーを取りに病室を出て帰ってきたら、看護師さんの「キャー!」という悲鳴がー。ムラちゃんのびっくりしたような死に顔が、嬉しそうな笑顔に変わっていたのだった。

 

やっぱり、屁をこいて、誰だ?あ、おれか…。より、笑ってくれる誰かがいたほうが、いいよな、人間て。