ကမ္ဘာပေါ်မှာအချိန်မရှိဘူးလို့အမေပြောခဲ့တယ်။ ငါမျက်စိဖွင့်တဲ့အခါငါဂျပန်မှာမွေးဖွားလား
その孤独な毎日の絶望の中、ボクを辛うじて活かしたのは、日本でのぽたらかの楽しいじいちゃんたちとの生活でした。熊ちゃんというおじいちゃんは、ボクがトイレ誘導をしてあげると、『あなた様はお名前何と言いますか?』と聞いてくれたので、『ミャーといいます。』と言ったら、『宮さんですか、いい名だ。宮さん、ありがとう。』と頭を下げてくれました。ボクはこうやって、人に感謝される仕事をしたことがなかったので、本当にうれしかったのを覚えています。
日本では仮滞在の身なので、働くことはできませんが、勉強することはできるのでホームヘルパー二級の資格を取りました。いつかまた、日本に行ったら介護の仕事をしたい、それが夢でした。
ついにその日が来ました。やっと、晴れて自由の身になったのです。
ボクは早速、日本に連絡しました。日本に行きたいと。そして、ママがカンボジアに行くというので、ボクもカンボジアに行って、直接話をすることになりました。
金網の向こうではなくて、直接会うのも二年ぶりのことでした。ママには、ボクの体のこともあるし、何より留学ビザにしても、技能実習にしても日本に行くにはお金がかかりすぎる。このカンボジアで老人ホームを手伝ってくれないかと言われました。
「ママ、ボクは刑務所の中の孤独な毎日をどんな思いで耐えて来たかわかりますか?今までずいぶんお世話になって言いにくいことですが、ボクはそんなに長くはありません。せめて、日本に行って死にたい。日本で不法滞在で捕まってもいいから、日本で死にたい。それだけを心の頼りに生きてきました。それに、ボクには好きな人がいます。」
ママはびっくりして、
「えー、いつの間にそんな人見つけたの?」
「昔、子供だった頃の近所の幼馴染です。ボクは気が付かなかったけれど、その子は初恋の人だとずっと、ボクのことを思って探してくれていました。そして、刑務所に面会にきてくれました。もちろん、その子の両親はすごく反対をしています。」
「その子は、今日本にいます。日本の会社に就職をしています。」
「そうでも、日本で同じミャンマー人の子と結婚しても在留許可は認められないよ。」
「それはわかっています。会うだけでいいんです。日本で会うだけで。それに、ぼくは彼女に病気のことは話していませんし。」
「ミャー、あなたの病気は治らない病気だけれど、お母さんの母乳で感染する病気だから、子供が出来ても子供に移ることはないよ。怖がらずに彼女に話しなさい。」
「ほんとうですか、安心しました。」
日本では特定技能測定試験というのが、四月から始まって、第一回目の試験は日本に在住している人だけが対象で間に合わず、二回目の試験が十月にあるという事がわかったので、短期滞在で来日し、試験が受かって、就職が決まったら、就労許可を取得するという案をママは教えてくれました。
また、ボクは接客が上手なので、宿泊業の特定技能を取ればよいとも。
早速、ミャンマーに帰って、N4(日本語尿力検定試験)を日本語学校で取得しました。
ただ、ボクの腕はリストカットの延長であるタトゥでいっぱいです。腕を傷つける時の痛みが生きている証でした。
「それは職場の人も話せばわかると思うけれど、客商売では誤解を招くので、サポーターをして、隠すようにしなさい。」
もちろん、日本に行ったら、体を傷つける必要なんかありません。ボクは今度こそ、生まれ変わりたい、ボクの胸は希望でいっぱいでした。
……ところが、運命の神様は残酷です。
ミャンマーに帰って、ボクは風邪をひきました。成人T細胞白血病のボクにとっては風邪ぐらいでが、命とりです。
日本でミャンマー人の友達はロヒンギャのモンモンエイさんでした、ぽたらかが支援している難民申請者の一人ですが、風貌は南インドにいるような顔立ちですが、とても穏やかで思慮深く、優しいいい人でした。
ムスリムだからといって、ボクたち仏教徒と何ら変わったこともなく、彼はただ、「豚肉は食べられないんだよ。」と申し訳なさそうに言うだけです。ボクは日本でロヒンギャの友達が出来て、偏見がなくなったけれど、もし、ミャンマーにそのままいて、世界史を勉強することもなく終わったら、今のミャンマー人と同じように、民族浄化に手を貸す一人になっていたかもしれません。
今のミャンマーは急激な民主化のおかげで貧富の差は激しく、人々の心は荒んでいます。まだ、大きな声になってはいませんが、軍政権のころの方がマシだったという人もいます。
ボクがミャンマーに帰ってきたころは、日本に電話をするのでも、路上の電話屋さんの前に行列に並んで、電話をしなければいけませんでした。ところが今は、どんな田舎の百姓でもスマホを持っています。
僅か、数年前は物がなく不便な生活でしたが、人々は助け合って生きていました。
今は、人が信じられません。もう、これ以上、裏切られ、騙されて、この国で生きていくことができません。ボクには我慢の限界が来ていました。やっと、そんな国から脱出できる。ようやく光が見えてきたところだったのですが。
2020年、ボクは四度目の血漿交換をしてもらいましたが、ボクの体は新しい血を拒否しました。
自分でトイレに行くことさえできなくなりました。彼女は親の反対があり、ボクのメールをブロックするようになりました。友達は訪ねてくることもなくなり、ボクの食事の世話をしていてくれた従兄妹は、感染を恐れて遠くへ引越しをしました。
食べるものを買う時は看護婦に給料を渡して、買ってきてもらいます。トイレに行くときもその都度、看護婦にお金を渡さないといけません。それがミャンマーというところです。
もう、ボクは疲れました。
あと少し、あと少しだったのに、幸せはボクの指の間から、漏れて消えていきます。
ボクはただ、ごく普通に生きたかっただけです。そして、ごく普通の家族が欲しかっただけなんです。それは許されないことなんでしょうか?
…ボクは眠ります。

