
つまり、何が言いたいのかというと、戸籍のないのはロヒンギャだけじゃなかったということです。軍政権の時は3人が立ち話をしただけでも警察に捕まった時代です。民主化活動していなくても、大事な子供たちを守るため親は金を工面してブローカーに頼んで、パスポートを作らせ、日本に行かせました。ブローカーに頼んだり偽造パスポートを作ってくるなんてけしからんという人がいますが、戸籍がない国なんですよ。役所が機能していない国なんですよ。仕方ないじゃありませんか。日本にきたロヒンギャの人たちは多くはそうやってきたはずです。
バングラデシュに避難したり、船で人身売買の被害にあっているような人たちは、来れません。日本に来た人たちも在留許可を得た人たちはほんの一握りです。
私たちぽたらかにいたモンモンエさんという男性もその中の一人です。難民申請は何度も不許可となり、今品川に収容されています。ミャンマーに帰ってどんな目に会おうが、日本にいるよりましといって、私の仮放免申請を拒否しています。もっともっと日本の方がひどい、という事。
このロヒンギャ男性はシットウエからヤンゴンに移り住み、お父さんは海軍の兵隊だったそうです。別に差別はされた記憶はありません。ロヒンギャは教条主義ではなく、原始イスラムのスーフィーの影響を受けているのか。豚を食べない六回の礼拝をするという形式的なことではなく、絶対に嘘をつかない、質素に生きるといった精神主義的なムスリムでした。そして、ミャンマーを愛していました。 『 ロヒンギャはベンガル語が通じません。ベンガル語を話すのがベンガル人ならば、ロヒンギャはベンガル人ではありません。ロヒンギャは民主化のために心を一つにして、一緒に戦ったではないですか。アラカンロヒンギャ救国軍はイスラム穏健派を狙っています。私はミャンマ国民や政府を恐れてはいない。彼らを恐れています。でも、私はミャンマーに帰ります。ミャンマーを愛することを許してください…。 』