ミャンマーを愛することを許してください。ロヒンギャと呼ばれた青年 | ぽたらか

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私はラカインには行った事がないので、焼き討ちに会われたロヒンギャの人たちを見たことはありませんが、ヤンゴンではよく見かけました。女の方は殆どヒジャブを被っていませんでした。ロヒンギャ以外でもイスラム教徒はたくさんいて、男性はイスラム帽を被り、髭をはやしているのに対して、ロヒンギャ男性は普通にロンジーを履いています。でも、顔立ちは彫りの深いインド系なのですぐわかります。                          何もミャンマーだけに限りませんが、多くの国は戸籍がありません。ファミリーネームというものがまずありません。マグロのように成長するに合わせて、名前が変わります。〇〇チョウというのは、可愛いという意味だそうです。大きくなると、コーとかマウンとか、〇〇さんという男性に対する敬称ですね。だから、マウンマウンはさんさん?だから、何百もの民族がいるといったって、人類学的にはみな同じチベットから南下してきた人たちです。ビルマ族とラカイン族は当人達は言葉が違うといいますが、日本人からしてみたら、栃木弁と茨城弁くらいの違いです。 金髪碧眼のイスラム教徒が、ビルマ族だと言い張って、最終的にビルマ族だと認められた家族もいます。多分、カマンだと思うんですが。別に遺伝子検査をするわけではないし、ヤンゴンで大きな方だという役所にいったことがあります、そこでは役人より猫の数の方が多く、その役人も本当にやる気がない。多くの人が行列を作ってIDカードを求めて並んでいます。「私はもうここに10回も通っているのよ!何も進んでいないじゃないの。」と怒っているおばさんも。仕方ないです。役所にはパソコンやコピー機すらないんですもの。A3くらいの昔日本で馬糞紙っていってた、虫食いだらけの紙に手書きでごちゃごちゃと書いたものが紐でとじられたものを無造作に机の上に積み上げられて、それをめくってみるふりなんぞして。それで、なにがわかるというんだろう? 
つまり、何が言いたいのかというと、戸籍のないのはロヒンギャだけじゃなかったということです。軍政権の時は3人が立ち話をしただけでも警察に捕まった時代です。民主化活動していなくても、大事な子供たちを守るため親は金を工面してブローカーに頼んで、パスポートを作らせ、日本に行かせました。ブローカーに頼んだり偽造パスポートを作ってくるなんてけしからんという人がいますが、戸籍がない国なんですよ。役所が機能していない国なんですよ。仕方ないじゃありませんか。日本にきたロヒンギャの人たちは多くはそうやってきたはずです。
バングラデシュに避難したり、船で人身売買の被害にあっているような人たちは、来れません。日本に来た人たちも在留許可を得た人たちはほんの一握りです。                                     
私たちぽたらかにいたモンモンエさんという男性もその中の一人です。難民申請は何度も不許可となり、今品川に収容されています。ミャンマーに帰ってどんな目に会おうが、日本にいるよりましといって、私の仮放免申請を拒否しています。もっともっと日本の方がひどい、という事。                                
このロヒンギャ男性はシットウエからヤンゴンに移り住み、お父さんは海軍の兵隊だったそうです。別に差別はされた記憶はありません。ロヒンギャは教条主義ではなく、原始イスラムのスーフィーの影響を受けているのか。豚を食べない六回の礼拝をするという形式的なことではなく、絶対に嘘をつかない、質素に生きるといった精神主義的なムスリムでした。そして、ミャンマーを愛していました。                                 『 ロヒンギャはベンガル語が通じません。ベンガル語を話すのがベンガル人ならば、ロヒンギャはベンガル人ではありません。ロヒンギャは民主化のために心を一つにして、一緒に戦ったではないですか。アラカンロヒンギャ救国軍はイスラム穏健派を狙っています。私はミャンマ国民や政府を恐れてはいない。彼らを恐れています。でも、私はミャンマーに帰ります。ミャンマーを愛することを許してください…。  』