日本では開発(かいほつ)僧は無理なのか | ぽたらか

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ぽたらかは20年の歴史を閉じます

ミャンマーの民主化に立ち上がった僧侶たち、またタイの開発僧と呼ばれる地域に根付いた社会活動をしているお坊さんは上座部仏教といって、日本仏教が小乗仏教と幾分か馬鹿にして呼んでいる仏教である。大きな乗り物のはずの日本仏教は教団のためだけだったり、檀家のためだけだったりする。

血だらけになって拘束されていく僧尼の姿を見て、日本の坊さんは何も感じないのかと思うと、各本山では平和のために祈願をしているのだと。チベット仏教のダライラマ猊下は「祈っていただけでは岸は近づいてこない。」彼岸を渡るには泳ぐなり、みんなが行動を起こさなくてはいけないといわれている。

インドでアウトカーストの差別と闘っている私たちの仲間、ケンボディ師は「日本仏教は腐っている、という意見もありますが、仏教は腐りません。食べ物でも食べないでそのままテーブルに置いておけばやがて腐ります。食べれば体の中で血となり肉となります。自分の血と肉に変えて消化したのは鎌倉時代の祖師方まででしょう。もったいないですよ。」といった。


ただし、私の坊主姿はただのファッションですから、僧籍はとっくに返上していますから。門外漢の独り言ですから、あしからず。