5月5日、原発が全て停止した日。
東京芝公園で行われた脱原発集会に参加するつもりでしたが、事情変って東日本大震災で被害を受けた南三陸町へ行ってきました。
 
 名無しの震災救援団(http://nanashi-kyuendan.org/)という団体がありますが、郵政ユニオンも加わり、物資搬送・炊き出しから共同食堂(さんさカフェ)」(http://sansacafe.iinaa.net/)へということで支援をしてきた場所でもあります。
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 志津川病院 (奥が海)                        
イメージ 3イメージ 4                                    防災対策庁舎
 
 更地になっている場所は、震災前、家が建っていた場所。というか人が住んでいた場所です。テレビの映像では見ていたのに、実際、自分の目で見ると・・・言葉も出ません。
 防災対策庁舎、町職員が震災発生後から30分間、庁舎2階の放送室から防災無線で、町民に避難を呼び続けたけど、自分自身が津波に流されて亡くなった。
 当時のニュ-スで知らない人はいないと思いますが、その後、この町がどうなったか知っている人は少ないのでは?
 
 占い師とか二股だったとか、日本って平和ですね。
 
 
 前出の(さんさカフェ)」(http://sansacafe.iinaa.net/)は食を目指してのコミュニケーションを目指しています。
 ただ、これもボランティアが支援がして動いているだけで、国はどうしたの?なんですよね。
 
 此処は、私も食べましたがカレー美味しかったです。トマトとデミグラスソースを合わせているようです。
 もちろん、ご飯を食べに行くだけではなく、出来る支援をやっていきたいと思っています。
 
 
 
 南三陸町を後にし、三陸自動車道等で、南相馬市原町区まで行き、「計画的非難区域」の飯館村経由で帰ってきました。
 飯館村はコンビニ、ス-パー等、営業している店はありませんでした。個人宅も、カ-テンを締め切って、あかりも付いていない。郵便ポスト(差出し)も封緘がついている。どうなっているのか全くわからない。
 飯館村は、だいたい0,9マイクロシーベルト。郡山は0.6マイクロシーベルト。
0,3の違いが大きいのか小さいのかは判らない。
 
でも、郡山の郵便屋さんは普通に配達をしています。