大地震・大津波に加えて原発震災。福島第1原発の現場で、原発事故の最悪化・重大化を阻むために日夜努力している努力に敬意を払いたい。外部電源が通電し、ポンプが作動という順序に冷却系が作動していくことを心から祈りたい。世界が固唾を飲んで「フクシマ原発事故」を見続けている時、足元の日本でも、さすがに「国策としての原発推進」は大転換を迫られるだろうと考えている人が多いと考えてきた。しかし、少なからぬ人々が「原発推進を変える必要はない」と考えていることがわかってきた。
 
 テレビでは素直に「原発はクリーンで安全なエネルギーと思ってきた」人たちが、国策に従い最初から結論ありきの「安全」太鼓判を押し続けた原発御用学者の人々が繰り返し登場し、「今回の事態があったからと言って、日本は原発をやめるわけにはいかない」という言説を垂れ流す。2007年、柏崎刈羽原発を直撃した中越沖地震で、大災害の一歩手前の損傷を受けた現地に2回入り、「地震と原発の二重災害に対しての警告だ」と強く発言したが、自民党・民主党には国会で集中審議する姿勢などさらさらなくまったく国会での議論は散発的なものに終わり、警告は生きなかった。今回の重大事故ですら、日本の今後には何ら生かされない体質がいまだに続いていないだろうか。
 
 
『沖縄タイムス』のサイトで見た記事。
【ジュネーブ共同】20日付のスイス紙ル・マタンは、福島第1原発事故を受けた世論調査を掲載、将来的にスイス国内の原発廃止を望む意見が87%に達した。2009年の調査では73%が「原発は必要」と答えていた。スイス国内では原発5基が稼働中。スイス国内では原発5基が稼働中。このうち稼働から約40年が経過する2基に関しては、62%が「閉鎖すべきだ」としている。調査は17〜19日、約500人を対象に行われた。
 
3月21日の東京新聞特報面に日本経団連米倉弘昌会長の驚くべきコメントが掲載されていた。
〔引用開始〕
 経済界からは早くも原発の危険性を忘れたかのような発言が飛び出した。日本経団連の米倉弘昌会長は記者から「日本の原子力政策は曲がり角か」と問われ「そうは思いません。今回は千年に一度の津波だ。(地震に)あれほど耐えているのは素晴らしい」と強調。見直しの必要について「ないと思う。自信を持つべきだと思う」と述べた。
「全然わかっていないと」広瀬(隆)氏。「千年に一度と言われるが実際に被害を大きくしたのは津波。百年あまり前の1898年に起きた明治三陸地震でも岩手県沿岸の綾里で38m、田老で14mを記録した。決して想定外ではなかったはず。素人の私でも予測出来るのに対策を取ってこないのは人災だ」
  
〔引用終了〕
また、3月22日は与謝野経済財政担当大臣の発言の報道もあった。
〔引用開始〕
 
 与謝野馨経済財政担当相は22日の閣議後会見で、福島第1原発事故に関連し、「日本中どこの地域を探しても環太平洋火山帯の上に乗っている国だから(地震が多いという)その運命は避けようがない」と述べた。これは原発推進の立場から地震が多いことは原発を止める理由にならないとの考えを強調した発言。

 同相は「将来とも原子力は日本の社会や経済を支える重要なエネルギー源であることは間違いない」と語り、あくまでも原発を続けるべきだとの考えを示した。〔時事通信〕 
〔引用終了〕
 米倉経団連会長と与謝野大臣の認識と感覚は共通のものがある。まだ着地点が見えているわけではない福島原発の重大事故があっても「原発推進の国策は微動だにしない」というもの。これは、戦後日本の電力会社と原子力産業が財界・政界に築いてきた政治力が、いかに強力なものであるかを示している。中曽根元総理が先鞭をつけた「原発立国」への道は、半世紀近く権力の中枢と固く結びついて、異論・反論を寄せつけないできた。
 福島第1原発で起きている重大事故も決して「想定外」のものではなく、1986年の「チェルノブイリ原発事故」以来、再三再四指摘されてきた事態である。とくに、地震後の津波に対して無防備であることは「原発事故」を懸念する私たちにとっては大変に警戒すべき事柄であった。しかし、「国策としての原発推進」に群れてなだれる政官財とメディアは、批判派の指摘に耳を貸さなかった。重要なのは、今もなお耳を傾けていないということだ。
 そもそも、福島第1原発は、日本の原発でも初期の老朽化した施設だ。本来なら耐用年数を超えて廃炉になるはずの老朽施設が構造的に持っていた問題を次の記事が明らかにしている。
〔引用開始〕
自衛隊に警視庁機動隊、そして東京消防庁の特殊部隊まで巻き込むことになった空前の原発事故は、実は人災である可能性が浮上している。

 福島第1の原子炉は米ゼネラル・エレクトリック(GE)が開発した。そのGE元社員のデール・ブライデンボー氏はロイター通信の取材に対し、福島第1と同型の原子炉について35年前に安全面での不安を指摘していたと打ち明けたのだ。

 そのうえで同氏は「分析が終わるまで一部の原発は閉鎖されるべきだと思ったが、GE側は応じなかった。そのため、私はGEを辞めた」と、退社した経緯を説明した。

 米ニューヨーク・タイムズも、米原子力委員会の専門家が1972年、この原子炉は水素がたまって爆発した場合、放射能を封じる格納容器が損傷しやすいため、「使用を停止すべき」と指摘した、と報じた。

 今回、事故を起こしたのは「マーク1」という沸騰水型原子炉の一種で、60年代にGEが開発した。中心の燃料棒を圧力容器、さらにその外側をフラスコ状の格納容器で守っている。格納容器が小さく、設備建設費が安く済むため、計104基の原子炉が稼働している米国では同型の炉が23基も稼働している。米国外にも9基あり、計32基が現在も運転中だが、格納容器が小さいゆえに、水素爆発で損傷するリスクが高いというのだ。

 福島第1の原子炉はGEの設計図をもとに、東芝や日立製作所が関わって建設、運転されてきた。設計に携わった東芝の元技術者、小倉志郎氏(69)は16日、外国特派員協会の記者会見で驚きの証言をした。

 「(67年に)設計した当時は、津波は前提になかった。日本で事実上、初の原子炉設計だけに知識に乏しく、耐震設計基準についても判断できなかったと思う」

 小倉氏は福島第1原発の1、2、3、5、6号機の冷却部分などを設計した。その小倉氏によれば、津波の対応はその後、日本独自の設計で織り込まれるようになった。しかし、推定で最大10メートルとされる今回の大津波より「想定規模ははるかに小さかった」。また、地震の規模についても「マグニチュード(M)8・0以上の地震は起きない、と社内で言われた」とし、M9・0の巨大地震は想定外であったことを明かした。

 地震対策は「私の定年が近くなってやっと見直しをしたが、それでも大地震は想定しなかった。責任を感じる」と語っている。

 米メディアの報道と設計者の証言をまとめると、もともと事故時の危険が高い米国発の原発が、津波や地震のリスクを十分に考慮せず建設、運転されてきたことになる。前出のブライデンボー氏は今回の事故について、「マーク1型格納容器が、他の原子炉ほど地震や津波の負担に耐えられないことから(事故が)生じた」と分析している。

 福島第1原発の1号機が運転を開始したのは71年。40年もの間、周囲を巻き込む深刻な事故を起こさなかったのは奇跡だったともいえる。(
ZAKZAKより)
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23日の東京新聞もまた、上記の記事同様の原発設計者の証言を掲載している。そうだとすれば、福島第1原発の事故の鎮静化に総力をあげると共に、日本で稼働している老朽化している原発で地震災害・津波の危険がある施設を一斉に止め、総点検をするべきだと思う。
農産物に付着した放射線が基準値を超えていることが報道されている。軟弱地盤に立つ中部電力の浜岡原発をはじめ老朽化した原発の総点検は当然のことだと考える。今回の福島原発事故で「1980年以前の老朽化した原発を止める」とドイツが決断したように、リスク軽減に向けた決断が必要だ。
 2007年柏崎刈羽原発事故を東京電力はテレビコマーシャルを使って「慎重な点検」「安全」を強調して批判を封印した。原発をめぐる議論が「推進一辺倒」になってしまうのは、大スポンサーとしての東京電力が依然として力を持っていることの表れでもある。こうして、原発安全翼賛報道が繰り返されないことを願いたい。私たち関東圏に住む者が東京電力以外の電力会社を選択することは出来ない。私たちの支払う電気料が「原発は安全です」というコマーシャルと、途方もない金額を原発受け入れ現地に流し込む財源となっている。民間企業と言っても独占であり、競争はない。
 国策としての原発推進の危険性を唯一チェック出来るとしたら「司法判断」だった。ところが、「国策追随」を条件反射のように刷り込んだ最高裁を頂点として、たとえ一審で勝訴しても、住民の訴えはことごとく退けてきた。今回は詳述しないが、「地震・津波の影響」などの住民側の指摘を一蹴する裁判官の堕落もひどいものだった。
 福島第1原発の事故を契機に「国策としての原発推進」を大きく転換させべきだと考える人の数はかなり多いと思う。原発重大事故の最中でありながら、政官財とメディアの中枢に「喉元過ぎれば」どころか「喉元のさなかに熱さを忘れる」人たちが目立つ。私たちは、被災者支援と共に、「脱言発への大転換」を求めていかなければと思う。

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