tempo di viaggio というノンフィクを見ました。
タルコフスキーがイタリアで次回作のロケーションをしながら、自らの映画観を語ります。イタリア語とロシア語です。
印象に残った言葉は数有れど
「僕はフィクションが好きじゃない、コマーシャルムービーも、映画は人生そのものを映すメディアだ、監督自身と切り離された映画は映画でなくなってしまう、監督は・・映画に自分を捧げなければいけない」
サクリファイスのコアが固まり始めているんだなという感じ、それにタルコフスキーという人間自体をじっくり見れるのは貴重です、雰囲気はトム・ヨークに良く似ていた・・・イタリアの自然がクラースナヤです。
僕自身も、映画は散文でなくて詩の領域だと思う、たぐいまれな詩好きであった日本人は世界にも希なたった17文字の詩を書いた、あのポエジーのある日本人はいったいどこに消えてしまったんだろう・・・水の流れは?別離の悲しみは?月は?花は?
ひたすら散文的で合理的な経済は、人間自身を蝕んでいるんでしょうか・・