ロシア語はほんとうに「習得」すべきか | 衛星日記

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タイトルは特に意味がありません。

自分は趣味と望むらくは実益も兼ねてロシア語を勉強している。英語はほんとうに習得してよかったと思っているし、英語のような言語がもうひとつふたつ増えればきっと世界が豊かになると思ったのだ。

 

しかし最近、とてもありふれた理由によってこの語学習得熱に冷や水がかけられつつある。それは、Google翻訳などをはじめとしたAIによる機械翻訳の性能UPだ。

 

Twitterでロシア語のツイートの横にある「自動翻訳する」というボタンを押すと、相当意味の通った訳文が現れる。これからこれがさらに得体の知れない速度で精度を増していくと考えると、少なくとも職業としての翻訳者はこれから、ごく一部のエリートを除いて用済みになっていくだろうな、と思う。自分はあわよくば翻訳者として食っていきたかったのだけど、どうもその夢はとても先細りになっているらしい。

 

全てのWebドキュメントが自動翻訳できる時代において、語学が堪能である、とはどういうメリットになるのだろうか。よくいうように世界を複眼的に見ることが出来る、という実存的な豊かさは確かにあるだろう。しかし、語学は反面膨大な時間の無味乾燥なドリル学習をも要求する。それと照らし合わせて十分な豊かさだろうか。それはおそらくどれだけその言語文化が好きかによるはなしなのだろう。自分のロシア語学習の動機は、はっきり言ってオリエンタリズムから来るコスプレ趣味である。便利になりすぎるというのも困ったものかもしれない。