巡礼の旅、2日目。

この旅の目的は、当時の記憶をつなぎ合わせて、

当時私が何をして何を考えていたか、少しでも思い出そうというものです。

 

2日目は、大学時代を過ごした街に行ってきました。

電車で行ける場所で、車窓から見える景色は見たことがないものでした。
確か当時は沿線が開業したばかりでまだ空き地が多かったはずですが、
今はマンションやモールがかなりの密度で建っていて、
人の乗降も多く、笑顔で楽しそうにしていました。
 
この印象は、大学の街に降りた後も続きました。
まず駅前に私がバイトをしていたホテルがあると探したのですが、
広場にビアガーデンができていて、
親子や若者、老夫婦が屋台物の飲食を楽しそうにしていた。
人の往来も多く、マンションが多くなっていて、
店舗も増えていた。栄えている様子だった。私の記憶している街ではなかった。
 
というのは、そのバイトしていたはずのホテルは
外観が緑色だったような気がするが、
すっかり褪色というか脱色して白色になっていて、
塗り直した感じではなく、風雨に晒されてきた様子だった。
ホテルの名称も変わっていて、
搬入口だけは今も変わらずあるなという感じ。
でも、こんな明るい道だったかしら、と周辺の印象はあまり馴染みがなかった。
 
大学のキャンパスを歩いた。
さすがに専攻のあるキャンパスはなかなかしっかり覚えていて、
休日のため売店も食堂もお休みだったが、
当時を彷彿とさせる掲示板や学生の風貌が懐かしかった。
 
建物の中に少し入ってみたが、
間取りとしては変わっていない感じだったが、
部屋の使い方や中の什器などはすっかり変わってしまっていて、
時代の変化に柔軟に対応しているのは非常に良いことだけど
すっかり変わってしまったのかなという感じだった。
ただ、ふと鳴ったチャイムだけは昔と変わらず、
オルゴールのような音色のピアノ曲なのだが、
いろいろな思い出が甦ったような気がして涙が出てしまった。
 
キャンパス内に学生宿舎があり、
私は最初の数ヶ月間、そこに住んでいた。
見に行くと、確かにまだ学生は住んでいて、静かであった。
外観が何色かで塗装されていて、昔の印象はなかった。
キャンパス内に大きな建物や、新しい宿舎も建っていて、
全体的に私の知っているはずの場所ではなかった。
 
メインのキャンパスへも歩いて行った。
この道を自転車で通っていたという記憶は残っていた。
授業棟を見ると、講義でお世話になった先生の名前を何名か思い出した。
昔別の用途だった建物が学生センターとして活用されていたり、
さすがに15年以上経つと変わっているものだなと思った。
 
その足でアパートを探した。
学生宿舎の後、近所にアパートを借りて、
どのくらいか記憶にないが、一人暮らしした。
かなり安い物件だったと父が言っていたのを覚えている。
しかし、このアパートを見つけることはできなかった。
それらしい道はわかって、あたりをつけて歩き回ったが、
それらしいアパートはわからなかった。
取り壊されてしまったのか、私の記憶が不十分かはわからないが、
非常に残念だった。
 
また、スーパーを探した。
当時外食した記憶はほとんどなくて、自炊していたと思われる。
スーパーは確か3店舗、よく行っていた。
今日はそこでお昼を買ってベンチででも食べよう
と思ったのだ。
しかし、なんと3軒とも存在しなかった。
1軒はゲームセンターになっていたし、もう1軒はがらんどう。
さらに別の1軒は更地になっていた。
更地の近くのお店の店員さんに聞いてみると、
2年前に取り壊されたらしい。
何店舗も入るような巨大な建物だっただけに、
広大な空地がただ寂しかった。
 
初恋の人とバーに行った記憶や、
好きだった人とレストランで食事した記憶が確かにあるのだが、
それがどこなのか同定することも叶わなかった。
あれはどこだったんだろう。
この街だったかどうかも怪しい。
 
結局、この街で覚えていたものはキャンパスや公共の建造物だけで、
アパートもバイト先もスーパーもデートの場所も、
つまり私が生活していた形跡が何も残されていなかった。
地図を検索してもこの街にいた感じがしない
と以前このブログで書いたが、
それが実地で証明された、それだけの感じだ。
やはりこの街で私は何をしたのか、わからずに終わった。
 
物足りないので、予備校のある街にも寄った。
いわゆる繁華街ではあるが、どこかに寄った記憶はなく、
おそらく単純な生活をしていた気がする。
噂通り、その予備校は看板が他社に掛けかわっていて、
小中学生向けの塾になっていた。扉は閉まっていた。
 
その足で、図書館の方に向かった。
確か、予備校の授業が終わった後、
よくその図書館へ行って何かしていたと記憶していたからだ。
その図書館は歩いて15分くらいのところに今もあって、
裏手には記憶通り静かな森があった。
表示を見ると、その森は「鎮守の森」といい、
神社の境内であるらしい。鳥居を見に行くと、
私は確かにその階段で弁当をひとりで食べていたことを思い出した。
 
要するに、私は予備校とこの鎮守の森を往復するだけの浪人生活を
送っていたのだろう。
キジバトが鳴いていた。
何を思っていたのか、想像することができなかった。
 
街の方に出ると、
確か大学院の研究室メンバーとうどんを食べに行ったのはここである気がした。
その彼は近所でバイトしていて、仕事終わりによくそのうどん屋に食べに行く
ということで連れて行ってもらい、
私はうどんを外食するのは初めてで大変おいしかった記憶がある。
その店でもう一度食べてみたいと思ったが、見つからなかった。
この界隈を歩いたような気がして、おそらくその時2人で歩いた気がしたが、
それがどこなのかはよくわからなかった。
 
この巡礼の旅で教訓がある。
街は変わるので、街に埋め込まれた記憶は残らないことが多い。
当時の記憶は街から消え、私の心の中にしか存在しない。
 
自覚しているように、私の記憶は薄すぎて、
悲しくなって帰った。
私にとっての大学って何だったんだろう。
予備校から大学卒業までの数年間が
謎めいた時代として心に刻まれることになった旅だった。