結局、経済は上向かず。
アベノミックスの恩恵を感じるのは、限定された層に限定される。

これは確かだ。
けれど この3年間で言えば
誰でも使える、入れてるだけで
金の増える財布を皆んな持っている
こともまた事実なのだ。

なぜなら、国がしてきた政策は、まさに入れてるだけで金の増える財布を世の中に出現させたからだ。

異次元の緩和がそれだ。
あれだけ市場に出した筈の金はどこに流れたのか。
簡単に言えば金融機関と中央銀行と大企業間で、キャッチボール続ける間に、そのボリュームを増し続けた。
本来は市中に潤沢に供給される筈の金は、回収リスクのない物にのみ供給された。
つまり銀行本来の目的は薄れ、銀行も今では利益追求のために機能する、巨大な機関投資家になってしまった。
日銀は国債を買い漁り、金を刷り続ける。
直接引き受けではないが、国策に押されたマネタイゼーションが行われているに等しい。その受け皿を担い再分配すべき銀行が投資家の如く振る舞うとなれば、もはや市場は加熱したマネーゲームの温床へと姿を変えた。
株価は、企業業績を反映する以前に溢れた資金の受け皿となり急激に上昇する。それを逆手に取って、企業収益が改善したと平気でさけぶ権力層がいる。
企業業績の改善は株価高騰と円安に押されたもので、円安は株式市場に金がシフトしたことも一因だ。
つまり、株高、円安、は大規模緩和という薬の作用であり、その薬は日本経済はともかく、国民生活の豊かさには何ら寄与していないことを言うマスコミは少ない。
ここに書いたことを理解してもらえれば、株価の高騰も輸出企業の業績改善も必然の結果だとわかる。
まして、企業の業績は、事業利益ではないことを企業は知っているので、これを社員の給与に反映させる筈もないし、させる意味もない。

これを許せない
とんでもないと
不平不満をタラタラ言うことでは、何も解決しないのは明らかで、じゃ泣き寝入りなのか。
そこで、冒頭の話
金の増える財布が
目の前にある事に気付くかどうかだ。
気付いた人は、一様にこの数年で金を増やした筈だから。
政策に不満はあっても
それを利用した人は
泣き寝入りではない