この数字は、現在の死活保護受給者の数
憲法25条の示す 国民は健康で文化的な最低限度の生活をおくる権利がある

この憲法が表すものはなにか?
現実は、何が健康で文化的なのか・・・
憲法は、総ての法律の基礎になるものだけに
その解釈運用までは、書かれていない

でも、誰が読んでも、理解できる何用で運用されるべき
権力は、常に憲法を手前勝手に解釈し続けているのだから

仮に最高裁まで争っても、そこに書かれた内容はきちんと解釈される前提であっても

拡大解釈を違憲とまで断定するまでには至らないし、最高裁でも憲法の解釈詳細に
判決を出すのは難しい。

生活保護受給者は戦後最大に広がって

これにもまら二つの意味がある

一つは貧困が拡大したと言う怖い現実

もう一つは、本来なら無差別、無条件の給付という綺麗な前提が、必要を超える制約、条件の拡大解釈により、拒まれたものが、緩和されたと言う良い意味での改善による伸びとも考えられる。

ただ、同時に、もらう側の虚偽も少なくなく不正受給が問題視される。

今回の派遣法改正でも言える事だけれど、政治と言うのは権力そのものであるから、決して国民一人一人を向いていない。
理想は、国民のための政治であっても、国民の解釈がここでも異なる。

では、何がこの世の中を変えられるかを考えた時に見えてくるものがある。


■現状に対する不満を声に出しても何も変えられないと言うことだ。

=50代の派遣社員=
自分は不安定な派遣でここまできた、努力して頑張ってきた、正社員に負けないくらい
でも、もう我慢できない、このまま、一生派遣で終わるなんて嫌だ。
何とかして欲しいと集会に来ていた。

この人は、何とかして欲しいと言っても、しかし、だれかが、この人を何とかする事など、はたして出来るのだろうか。

・この人は不満を口にして、派遣法改定に反対して集会に参加する。

派遣法が仮に改定されなかった場合、この人の生活は変わるのか?
改定前の制度で働いていても、不満だらけなのだから、今回の改定に反対する以前に、現行制度に反対なのではないか??

この人は、不満を口にしながら、それ以外のことをしてこなかったか、しても出来なかったのだと考えられる。

この人がすべきなのは、自分を変えるしかない。

黙って我慢しているだけであったなら、合理的な根拠を明確に、理不尽を解消する交渉をする。
派遣が嫌なら、他の就労形態に移る、そのために必要なものを身に付ける。
派遣が嫌なら、他の選択肢は多彩に用意されている。
用意されている選択肢が、現実に実行できるか否かは自分自身だ。

今が不満なら、自分の意志で変えるべきだ。
変えることを、拒否する事は、誰にも出来ないのだから。

文句だけ言い放ち、何も変えない のでは変わらない。

そう一人一人が、努力を重ねれば、世の中は変化する。

トップに決断を迫って無理なら、ボトムの変化で世の中を変える手段がある。

文句言ってる暇など無い とは 良く言ったものだと思う