主義主張で同胞を傷つけたり、文化財を盗掘来たり、博物館から強奪したり。
宗教が人の愚行を戒める事ができるものとするならば、彼らのそれは何だろう。
モラルは生命の危険の元では存在し得ない事は過去の歴史が証明している。
ならば、それを防ぐためにも生命財産を守る基本的な努力を欠かしていけない。
モラルハザードの上に生命財産が脅かされると言う説と、生命財産が脅かされる環境下ではモラルハザードが起きる。
この二つは似ていて非なるものか。
思うに、今の紛争エリアでは、生命の価値が極めて低い事がこんていにあるのではないか?
ジハード、聖戦、まるで昭和の日本が若者に強いたあの、特攻精神とにている。
神は、生命を疎かにする様には説かないと私は思う。
宗教はその実態より解釈が大切だ。
権力は時に解釈で正当性を得るために宗教を利用する。
これは、いつの時代にも起きた事だ。
日本ですら、そうだ、ただの人が国家に強要された挙句に、死をも強要された。
その代償が髪として祀る。
わたしは、それでなれる神なんかになりたくない。
人として生き
人として死ぬ
人が人として生きる権利を奪われる社会なら、神の救いはどうやって彼らに届く。
爆発、空爆、毒ガス、核
こんなものを、どの宗教の神も使えとは言わないはずだから。
神はそれを見ているはずだ。
過ちはたださねばならない。