資本主義に限界が来た、そう思えてならない。

ま、共産主義はその限界をかなり前に見せてしまったので、それよりはましだったかもしれない。

共産主義はあくまで人類は善人であるという前提が不可欠の考えであるので、人間が善人ばかりでは絶対にないこの社会では無理があるのは明白だった。

そこで、今回の資本主義の限界はと言えばこうである。

もともと資本主義は人の欲をある程度は織り込んでいるので寿命が長かった。

でも、根底にはやはり、楽して金儲けという発想は薄い。


企業は、社会の欲するものを提供し生活を豊かにする使命を背負っている。

そして、企業はそれで得た財を社会に還元しなくてはならない。

従業員の給与としても、再生産のための費用でもいいし、研究開発費でもいい。

企業は得た利潤を適正に社会還元する事が何よりものぞまれるのである。

株主への配当もその一つだと言える。

株主は自己の私財を企業に投資して企業を育てる。

当然、思惑通りの成果が出れば報われるのは当然と言える。


ここまでは良かった。


ここからが資本主義に巣食った新生物だ。


何も生まない企業の台頭だ。

何もしないで利益を得る人々の台頭だ。

本来は、それ自体は何の価値も無いものに多額の価格を設定して販売する者。

そして、その何ら価値の無いものが、値動きを起こして市場が構築される。

投資は投資先の成功とともにあるという原則など何もなく、ただ時価評価価格の変動せ売買される。

ここで動く金・人・ものが、現実の経済の中に大きな割合を占めた場合。

今の資本主義は、不可解な真実のものとに崩壊する。


そして、EURも同じ資本主義の中に自由でない足枷を施せばどうなるか。


2013は変わらないと