それがゲームとして成立するかしないかの要素ってどこにあるか?

内容であるなら、それは違う。


仮に、命がけの内容だとしても、参加する人が心から楽しめるのであれば、それはゲーム

どんなにお遊びで緩い内容だったとしても、参加者全員が楽しめないのであれば、それはゲームじゃない。

程度の差も、真剣さも、そこにはまるで関係なく、唯一関与する人間が楽しめるか否かがゲーム。


これが、ゲームの基本だと思う。


恋愛ゲームも同じ、どちらかに傷がついたら、それはもはやゲームではなく。

何れかのエゴであって、同じシーンに立ち会う他のプレーヤーは犠牲者でしかない。


自分がゲームを楽しみたいのなら

どんな難解な仕掛けを駆使しても、解けないパズルを仕掛けても

決着のつく、プレーヤー間の納得感が無ければ意味はない


ゲームは、そこまで考えて仕掛け仕掛けられなければならないし、それが醍醐味。


負けても爽やかなのがゲーム


勝っても爽やかなのがゲーム





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