彼は車をホテルに置き去りにして旧市街へと向かったいた。

ロケハンとはとはいえ、公的機関に届を出しての活動となる、よって市内にアクセスするのはロケバスになった。イタリアのロケバスなのだから少しは面白い車両が来るのかと期待したのだけれど、それは叶わず日本でもなじみの車両だ、ハンドルは左についている。


車内にはディレクターをはじめ、現地のコーディネーションを行うイタリア在住の日本人の女性、さらには制作チームの人間が数人、それにクライアントの人間と営業の担当などが乗る。

旧市街にアクセスする手前を、それてバスは坂を上る、フィレンツエが一望できる高台へと。

右カーブの先が急に開けて、赤い、そう表現するにふさわしい景色が広がった。

バスを降りるとそこには、西からの風が吹いていた。

絵葉書の景色 そう、あの景色が見えた。

ここで一人のローカルの公的機関から派遣されたイタリア人が待っていた。

その初老の男が彼らの動きに合わせて必要な案内と通訳を行うという。

通訳と言っても、イタリア語を英語にしてくれる通訳だ。


彼は、その初老のイタリア人と簡単な挨拶をかわした。

仕事慣れした笑顔で、その男は彼に今日の段取りを説明をした。

既に聞かされている予定と同じ事を確認して、彼はそのとうりにお願いしたい旨を英語で言った。


その後、コーディネイターとともに彼は簡単な打ち合わせをしていた。

丘を降りて旧市内に入る、サンタマリアデルフィオーレ教会の見える小道から、ウィッツイへと歩く。

入り組んだ道から見上げる教会の鐘楼は本当にここがフィレッエだと言う景色を見せる。

彼はその景色を見ながら、いつもながらに気持ちが重くなるのを感じた。

冷静と情熱の間、それであればいい、ここにあるのは芸術と商売の間だ。

クリエーティブな人間は、とかく当たり前の仕上がりを嫌う。

それでも、先生と呼ばれる人間がクリエオティブを務めれば、クライアントも納得する。

今回の様なケースは面倒だ、少しだけ名の知れたクリエーターと、金だけではなく制作物にも口も出すクライアント、本当に厄介だ。

訳の解らん部分に拘るクリエーターと、これまた俄か仕込みの勉強をしたクライアント。

おそらく、意見の対立は避けられない。


そんな事を考えながら、教会から市役所の建物に繋がる広い通りに出る。

やがて道は開け、ピアッツアと呼ばれる広場に出る。

イタリアでは広場をピアッアとかカンポと呼ぶが、その違いは今一つ解らない、多分大きさだろうか。

スィニョーリア広場と言うここは観光客なら必ず訪れる場所だ。

ミケランジェロのダビデ像があることでも有名だが、これはレプリカだ。

ここを抜けると、ポッテチエリのビーナスの誕生が見れるウィッツイだ。


その広場の一角に居た時、不意に侑子の姿が見えた。

一瞬は錯覚かとも思ったのけれど、長い髪の後ろ姿は彼女に違いと思い直し

彼は、その方向へ歩いた、そしてやがて小走りになり彼女の前に

「今度は偶然なんかじゃないね」

彼は言った。

振り向き様に彼女は

「そう どうして偶然じゃないのかしら」

と言った、その時の彼女は笑顔だった。

「だって、フレンツエに来る人はまず間違いなく、ここに来るのだから。」


「そう でもこの時間にこの場所で会うのは偶然じゃないかしら」


「そうかもしれない、でも 今朝僕らが会った偶然に比べれば遥かに高い確率の偶然だ」


「ここへは仕事で」


「ええ、今日はここに、でも明日はローマへ」


「僕もローマだもう数週間になる」


彼は思った、ここを逃すともう偶然は訪れないだろう


「ローマのホテルは?」


「なぜ そんな事を聞くの」


彼は、気の利いた言葉がいくつか頭に浮かんだ


けれど、彼はそれを口にはしなかった


もう、嘘は充分だ 少なくとも彼はそう思った。


「聞いておかなければ僕はきっと後悔する」


彼はそう本心を言った。


「私は今でも怒っているのよ、だから」


「だから・・・」


「もしもう一度、もう一度偶然に会うことがあればおしえるわ」


そう言って、彼女は広場をアルノ河の方向へ歩き出した。


かれは、彼女の後姿を見ていた


足取りが意思の強さを感じさせるように、綺麗な姿で歩いていく彼女を見送った。


午後になり、スタッフが細かい作業に移ると言うので、営業はクライアントにウッッツイを見せ、その足で食事をすると言い出したのでそのようにしてもら事にした。

製作スタッフは食事は適当に取るという。

イタリア人の通訳はスタッフに立ち会うと言う。

日本人のコーディネイターはクライアントを陽気に案内している。

ちゃっかりしているなと彼は思った。

彼らは、最終の集合の場所と時間を決めてそれぞれに分かれた。


彼は、測らずも一人になった。