建物に入ると、そこにはコーヒーの香りが立ち込めていた。

入り口を入ると、雑貨と小物を売るスペースがありその奥が急に広いスペースとなる。

右側にはレストランとしてのエリアがあり、左側はバールだ。

何も、こんな建物の中にまで、きちんと街中の様なバールを据えることは無いように感じたが、そこはドライバー達の格好の休憩スペースとなっていた。

彼はカウンターに体重をかけ、中の男に、半ば身を乗り出すようにしてコーヒーを注文した。

カフェ アメリカーナ これで、日本で言うごく普通の、それでいてかなり香りと味の濃いコーヒーが出てくる。 普通にカフェなどと頼めばエスプレッソだ。

バールを見渡せば、あれリカーナを飲んでいるのは彼の他には居なかった。


1杯のコーヒーを飲みながら、ビスコンティをかじる。

朝、ローマを出る前には何も口にしていなかった彼は硬いビスコンティを美味いと感じた。

バールの中の会話は、ドラックドライバーの男たちによる取るに足らない話

彼は所詮そんなものだろうと思った。

イタリア語をそれほど深く理解できる訳でもないので会話の7割は意味がわからない

でも、男たちの話題は彼の推測の範囲は超えていなかった。


その男たちの中に、団体の日本人観光客の年配の女性数人がが臆する事もなく割り込んで、先ほどの男に日本語でコーヒーをちょうだい と 怒鳴っている。

男が困った顔をすると、今度は別の女性が プリーズ カーフェーと何と大声を出す。

やがて、カウンターにエスプレッソが出されると、その女性達は あら小さいのね・・・・

などと言いながら砂糖を大量に入れ一口飲んでは 苦ーい などと て大声で話し始めた。


流石にいたたまれなくなった彼はバールを離れ、先ほどの導線を逆流して表に出た。

自分のアルファを停めたスペースに目をやり、日本から持ってきているタバコ、キャスターに火を付けた。

煙が、彼の周囲に一瞬だけとどまり消えて行った、流れる様に。


1本を吸い終えると、彼はアルファに向かって歩きだした。

駐車スペースに降りるための数段の階段をおりた時、彼は見たことのある顔とすれ違った。

階段を降り切った彼は急いで振り返った 

そこには、階段の上で同じように振り返った彼女の顔が斜めに背中と一緒に見えた。

「なんで こんなところに いるの 」

声をかけたのは彼女だった。

彼はそう聞かれて

「君こそ 何で居るんだ」

と答えた。


二人はたったそれだけの短い会話を交わすと、彼は車に

彼女はオートグリルへと、それぞれの方向に歩き出した。


運転席のロックを外して彼は車に戻った

エンジンをかけると2リッターの4気筒が目覚めた

オイルが回り、水温計が動き始めるのを確認して、かれはアルファーをランプウエイに乗り入れて行った。

やがて本線合流をして、3速のまま走行車線からウンカを点滅させつつ追い越し車線へ入る。

メーター読みで100キロまでを3速で引っ張ると、4速、そしてすぐに5足へと入れ巡航に移る。

先行車のテールとの距離を一定に保ちながら彼は走り続けた。


「侑子」 彼はその名前を一人後つぶやいた。

そして思い出た。

丁度1年半前、彼は彼女と良く会っていた。

二人の住む町は新幹線で2時間離れていた。

それでも、彼女はよく東京に出てきた。

彼に会うために、そして彼もその関係が快適だと感じていた。

時には彼が、車で彼女を訪ねた事もあった。

彼女の住む町を起点に、海沿いの美しい地域をドライブ旅行で回った事もあったし、山間の清流の流れる地方へ足を延ばすこともあった。


けれど、そんな関係は1年も続かずに終わった。

二人で居ると快適だと、彼がそう心から思えたのも丁度その時間だったのかもしれない。

快適ではないと感じた彼は、住んでいた部屋を変え携帯を変えた。


彼が彼女に初めて出会ったのはワイキキのホテルだった。

偶然にも二人は、名古屋と東京から同じ仕事のために来ていた。

業種も会社も違う二人は、同じクライアントの仕事で出会った。

ホノルルに2週間の滞在

ビジネスはお互いの領域でお互いに成功した。

そして、その間に彼は彼女に恋をした。

ホノルル滞在最後の夜 二人は深夜のビーチサイド バーのベランダで酒を飲み

二人だけの打ち上げをした お互いの成功を祝って

彼はその夜彼女を抱きたいと思った

彼女の気持ちなどは知る術などなかった

そう考え、彼はホノルルは乾杯までかと思った。

事実そうなった。


彼は帰国後数日経った午後、彼女に電話をし、その夜の新幹線に乗った

彼女が予約しておいた、一番の繁華街にあるけれど、落ち着いたホテルで会い。

このエリアでは美味しいと言われる懐石料理屋で夕食をとり、ピアノのあるバーで酒を飲んだ。


ホテルの部屋に戻り、照明は付けないまま二人は抱き合った 

「ホノルルで抱きたかったんだ」と彼はふいに言った。

彼女は言った。

「何となくそうなるかなと思っていたのよ、でもならなかった・・ そうしてくれれば よかったのに」


窓には眼下に街の灯が見えていた