個人的昔話です。
興味の無い人はゴメン 読まないで。

普通の中学生だった
スポーツ大好きの小学校6年生が、一つだけ歳を重ねて中学に行った。
そこは、ナチの強制収容所の様な日々が待ち受けていた。
僕は、そのことをづつと忘れていた
高校に行き、大学に進む中で
そして、企業人になり づつと忘れていた。

【神奈川の海に近い場所の評判の良い中学】
当時の同級生にはあの著名人、この学者、この医者
今、冷静に分析してみても、人生においてあの3年間は
突然、ユダヤ民族の上に起きたナチ時代のフォロコーストに似て
自分の努力や考えの及ばないところで、一方的迫害が起きたとしか言いようがない。

曲げられた真実、根拠のない追及 なぜ それは今も謎だ。
楽しい小学校から、地獄の中学
4年遅れで入学した弟は何の迫害もなく
むしろ、優遇されて 何があったのだろうあの時期のあの学校で 僕に対して。

入学直後に起きた盗難事件
女子トイレ便器崩壊事件
廊下に使用済み生理用品がばら撒かれた事件
女子バレー部の部室侵入そして覗き

その総てに僕は全く関与していない
関与どころか、中には自分の知らない事件さえあった

その総てで、「正直に言え」 「やったと認めろ」「言うまで帰さんぞ」
繰り返し行われた追及。

終業式 成績表は別室で渡された
職員室に隣接する応接
親までもが呼ばれ
教師3人が言った言葉
「成績評価のしようがありません」
言われた言葉を疑った
空欄の通信簿
「卒業はさせます、周囲に迷惑が及ぶので、登校されなくても結構ですと・・・お それから高校ですが、行きたいなら水産高校なら行けますよ 普通高校は無理です」
その言葉に、両親はうろたえもせず
「登校するしないは本人の意思に任せます。親には教育を受けさせる義務があり、子供にはそれを受ける権利があるのですから 高校の件は学校の見解は解りました でも水産高校は行きません」
そう言い放った。
教師は
「じゃ行く高校はないですね」と涼しい顔で言った。
父親は
「見放した生徒の事で嫌味の一つも言う暇があるなら他にするべきお仕事があるのではないですか、このこの進学に関しましては学校は一切ご心配なく」
教師は
「内申書と言うものがあるのですよ」
と怒り心頭、且つ鬼の首を取った様に言った。
父親は
「ご心配なく」
そう言って学校を後にした。

父親は驚きもせず 怒りもせず
「あいつらの、話は一切気にしなくていい 心配もいらない」
そう笑っていた。

それでも、ショックだったのは
父親も、部室覗き便所破壊の犯人は自分の息子ではないかと思っていたことだ。

最終的に高校は、普通の高校に普通に受験が出来て合格をした。

親と教師が、子供の居ないところで何を話したかは父は言わなかった。
死ぬまで言わなかった。