敗戦後の何も無いからはじまった日本の経済は、その時代の人々の努力で復興を果たした。

政治家も経営者も労働者も家庭も、その目的のために文字どおり一丸となって血のにじむ努力を重ねた。

にも関わらず、前後60年を経て日本はどうしてこうなってしまったのだろう。

その根本にあるのは目的を達成した時点での路線変換にある。

戦中派1世は戦争がもたらした事を肝に銘じて、復興を誓い生きた。

その後2世になった政治家や企業家は なぜそうするべきか? との問いに対する答えを自ら見出す、または間違った解釈をして、先代の生き方の上辺だけを踏襲した。

目的に向かうための痛み、そしてその痛みを分かち合った時代は、いつしか、自社や自己の限定的目的へと変貌し、痛みは分かち合い分散したが、富と幸福は分配される事無く集中した。

やがては、その地位や富こそが総てとなっていった。


今、企業も国も労働者も家庭も、自己の利益ばかりに目を向けることなく、この国を本当の意味で自立させ、世界の中で日本という存在価値を正しく主張できる国にする努力を惜しんではならない。


過ちは、正さなくてはならないのだから

過ちは、正せるのだから

遅すぎると言う事はない